憂国の徒にはいろいろなタイプがあるが、なかでも共感を得やすいのは権力側を批判する者たちだ。それは間違ってはいないのだが、中には自分たちは被害者であり、現状に責任はないと訴える向きもある。一方的に現況を押しつけられているのだという主張だ。
こういう被害者意識は理解されやすく、そうだ私もだといった形で仲間を作りやすい。世論を操作する人の中にはこれを巧みに利用して、その先にある利己の路線に大衆を巻き込んでいく。最近のポピュリズム政治家の言動をみればこれは明らかだ。

ただ、気をつけなくてはならないのは本当に人のせいだけなのだろうか。自分たちに何の責任もないのだろうか。ほとんどの選挙の投票率は低い。数字上では多数が投票すれば結果が変わるかもしれないという現実はほとんどの選挙で続いている。国内企業を守るべきだと言いながら、安い外国製品ばかりを買う。外国人の労働者が多すぎると言いながら、彼らの就労先に進んで就こうという日本人は少ない。そういう現実には目をつぶり、あたかも自分たちは犠牲者だと言うことには説得力がない。
大切なのは批判精神を忘れないことであるが、その対象から自己を除外しないことなのであろう。自分もまた社会の一員であり、ということは現況をもたらしている一因であるということなのである。単に現状を嘆くだけとか、第三者のようなポーズをとって冷笑するといったことがよく見られるだけに、人のせいにしないという考えは再考すべきだ。
