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アザミ

 近隣の空き地にアザミが咲いていた。久しぶりに注目すると、つくづく野趣溢れる花である。

 全体的に刺々しい風貌は、自らの身を守るための進化なのだろうか。うっかり掴むと怪我をしそうな感じだ。子どもの頃、痛い目にあった記憶が蘇る。野遊びでもこの植物は注意がいる。

 花も紐のような花びらで非常に個性的だ。赤でも桃色でもない色合いも印象的で代替し難い存在感がある。調べてみるとアザミは食用とされてきたのだという。茹でると棘は柔らかくなり食べられる野草になる。

 あざみ野という駅が通勤電車の駅名にある。本当のアザミの群生はしばらく見ていない。野草を見ない生活を続けているとどこか精神的不調になるのかも知れない。次の休みは散歩に行こう。

ゼンマイ

 最寄り駅のホーム横の土手に今年もたくさんのゼンマイが育っている。印象的な新芽は山菜としても知られるものだが、だれもここのものを持ち去る人はいない。食用になるのは発芽してすぐのものらしく、私が見つけたものはすでに大きくなりすぎているものばかりだった。

 東アジアの植物ということだが、他の植物が外来種に席巻されるなかで、文字通り根強く自陣を守り続けている。この駅は大規模な改修があったのだが、以前からゼンマイは発芽し、今もまだ生きている。シダ植物の生命力を感じさせる。

 葉が広がるとどことなく原始を感じさせる姿になる。どこにでも見られる植物だが、それにはこの生命力の強さが関係しているのだ。

ツツジ

 躑躅は万葉集にはすでに歌われている。桜の後に続く花は赤や白、その中間色や混ぜ合わせたような彩りまで様々だ。庭木として植えられることが多いので桜より身近だ。花の奥の蜜を吸ったり、花飾りを作って遊んだりした。

 今朝駅の近くに植えられたツツジが一部開花しているのを見つけた。もう少し前から咲いていたはずだが気づかなかったのだろう。一度気がつくとあちこちですでに花の面積を広げつつあることに気づいた。葉桜の後に出番が来たと言っているかのようだ。

 近縁のサツキやシャクナゲなどもこのあとに続くのだろう。花のリレーがどのように展開されるのか楽しみである。

夜桜

桜に月

 数日前、近くの公園は桜の盛りを迎えていた。すでに散り始めた枝もある。見上げると月が出ていて、その光に桜花の彩りが一層引き立つ。

 恐らくこの光景は数日の後にはなくなる。桜は偶然を痛感させる。実はすべてのものが一度限りでありながら、似たものを見たり聞いたりすることで永遠に繰り返されているような気になってしまう。

 今日の夜桜は今宵限りだ。ただ夜桜なるものは来年もこの場所であるだろうし、この場所でなくても似たようなものはある。一回性か普遍性かそんなことも考えさせる。

 ただ言えることはこの日の夜桜はよかった。これまでの中でもかなりいい部類だということだ。

楠若葉

 クスノキは常緑樹だが落葉ももちろんある。少しずつ時期をずらして木が丸裸にならないようにしているようだ。その新葉は印象的だ。

 楠若葉は俳句では初夏の頃に扱われるが、実は今も見ることができる。はじめは赤褐色の色をしており、長じて深い緑になる。ものによっては花かと思うほど色づいているものもある。

 夏の季語になっているのは、その頃のクスノキの発葉が盛んで木の容積がどんどん大きくなるような感じがするからだろう。対していまごろの楠若葉は控えめだがより目立つ。

 三月尽の今日、早めの季節推移の中で、知らないうちに新芽は育っている。

ハナミズキの花芽

 毎日歩く道の街路樹として植えられているハナミズキにたくさんの花芽がついているのに気づいた。桜が終わった頃から一斉に咲く風景を楽しみにしている。

 調べてみると花芽は昨年秋にはついていたのだという。まったく気づかなかった。よく言われるように、そこにものがあれば見えるのではなく、見ようと思わなければ見えないものなのだろう。

 アメリカヤマボウシにはバックストーリーがあることはこれまでも何度か触れてきた。それなのに花期以外のこの植物をよく見ていなかったことにいまさらながら気づいたのである。

もう見頃

 通勤の車窓から見えるソメイヨシノの並木が満開に近づいている。きようは雨なので薄暗い風景を花がしっとりとして見えている。恐らく新入生を待ってはくれないだろう。ちょっと惜しい。学校の近くに植えるのは八重桜の方がいいのかもしれない。

咲き急ぐなかれ

近隣のソメイヨシノ

 昨日は気温が下がったが、このところ平年以上の高温傾向にある。ソメイヨシノの東京の標準木はとうに開花しているが、近隣の桜もすでに花が開いている。陽だまりにいるとかなりの暖かさを感じる。雲もなく、穏やかな日曜日になりそうだ。願わくば咲き急ぐことなかれ。

つくし

 アスファルトに囲まれた中でわずかに残る露面に今年も土筆が育っているのを発見した。すでに伸びきって立派な形になっていた。

 この場所はもう何年も前から3月になると土筆が立ち、しばらくすると雑草に覆われ、気がついたときには草刈りされている。使い道もない空間なので放置され続けてきたのだろう。

 実はこの場所はこの後、道路が建設される予定になっている。周辺の家屋のいくつかが取り壊され、予定地である旨の看板が立ちだした。おそらくこの土筆の小景も近い将来見られなくなるはずだ。

観梅

 近隣の公園に観梅に行った。五分か六分といった咲き具合だが、十分に楽しめた。

 毎年訪れる場所だが、ここ数年では人出が多く、なおかつ余裕がある雰囲気がある。コロナ自粛時代が終わりつつあることを表しているかのようだった。