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雨の朝

 久しぶりに雨の朝だ。気温も高いので蒸し暑いが直射日光よりはましな気がする。隣家の壁にに大きなナメクジが這っていた。普段なら気味が悪いだけなのだがこのところの暑さをどうやってしのいでいたのかと不思議な思いになっている。

 予報ではこのあとまた晴れるらしい。変動が激しい日は要注意だ。

梅雨明け

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 昨日、関東地方など多くの地域で梅雨が明けた模様との発表があった。いわゆる梅雨明け宣言だ。関東では21日間の梅雨だったというが、その期間の短さも降水量の少なさも記録的なものになっているという。梅雨明け10日という言葉があるが、今年の場合は果たして10日で済むのか心配である。

 昨日は電力逼迫に関する情報も出た。これだけ暑いと冷房を入れざるを得ない。公共の場に集まることも歓迎されない状況においては各家庭でエアコンを稼働することになる。電力消費を抑えなくてはならないと思っても、熱中症の恐怖もあるので何とも難しい。

 この夏はある意味緊急事態である。だから、思い切った方策も必要だ。サマータイムのように始業と終業を早めるのもいい。暑いときは無理に仕事をしないというのもありかもしれない。こうした工夫はこの後、様々な形で紹介されるはずだ。

 体力の消耗が激しい高温の状況下では短期集中しかない。一日の後半はあきらめてとにかく朝にかけよう。などと思いつつ結局夜更かししている。今年の暑さとの戦いはかなり長そうだ。

夏合宿

 このところ中止を余儀なくされていた部活動の夏合宿が復活するかもしれない。感染対策への配慮は必要だが、禁止からスタートではなくなったのは前進だ。

 いろいな事情で以前お世話になっていた宿ではない場所になりそうなのは残念だ。同じ日の同じ場所に10年以上通っていたために、自他の定点観測のようなものになっていた。それが崩れてしまう。

 生徒諸君にとっての合宿は多くの場合楽しい思い出だろう。教員にとっては24時間営業の連続で結構疲れる。かと言って自分の感情をあらわにもできない。苦行の一つだ。

 それでも生徒諸君が嬉しそうにしているとついそんなことは忘れてしまう。教員のもつ弱点である。

給与を上げて

 少しずつ物価が上がっている。日銀総裁は価格上昇が許容できる段階になったというふうに取れる発言をして釈明することになった。サラリーが上がらなければ物価高は経済停滞を引き起こす。高所からものをいう人には個々の事情は捨象する。だから、野党議員にスーパーで買い物してみてはなどと言われてもびくともしない。

 物価が上がる条件は給与も上げることが条件だ。経営者にはこの点を考えてほしい。経済が回らなければ結局自らの首を締める。人的投資は即効性のある行動であると言いたい。

若い人の歌

 若い人の歌を年甲斐もなく覚えようとしている。back numberというバンドの水平線という曲は懐かしいメロディラインなので親しみやすい。

 おそらく若者の挫折に向き合い、それを癒やす歌と言えるのだろう。自分の失敗が誰かにとっては美しいものであり、その逆もまた然り。禍福は社会の中で循環するものなのだということだろうか。

 そんな理屈をこねること自体、若くない証かもしれない。いい歌なので歌えるようになりたい。キーが高すぎるのが難だが。

連休最終日

 あっという間に連休も最後の日になってしまった。遠出はできなかったが何冊かの本を読むことはできたのでよしとしよう。休んでいて気づいたのは日常が多忙過ぎるということと、その中にはやらなくてもいいことが含まれているという事実だ、無駄とは言えないが省いていいものは止めていく覚悟がいる。そう確認したのがこの休みの収穫と言えるのかもしれない。

休めましたか。

3月

3月です

 今日から3月が始まる。私の職にとっては年度末であり、色々な変化が一気にある。

 なかなか終わらないコロナ対策の日々、始まってしまった大国の関与する戦争、花粉症への対応とまずは基盤にある問題を切り抜けなくてはならない。

 それに加えて業務のまとめと引き継ぎ、非定期の案件の対処などやるべきことが多い。何から手を着けるべきなのか。考える暇もないほどだ。

 もし10年前の自分なら残業や休日業務などで切り抜けたはずだ。いまはその体力が足りない。その日できても後が続かない。いまはできることからやる。できなければ諦めるという体たらくだ。

 でも、結果的にはその方がいいのかも知れない。ゴールを欲張らず、大切なことだけを完全にしたほうがいい。そう考えることにした。

春眠

春眠暁を

 昨日は気温が上がったこともあり、疲れが出てしまい誠に眠い一日だった。睡眠時間がかなり長かったと思う。

 実はやらなくてはならないことが山ほどある。それをすべて放棄して眠りこけてしまった。情けない。

 いや、かつてなら臆病な私はこんなに上手い現実逃避はできなかった。うっかり寝たときはしばしばあったが、その後の焦燥たるや凄まじいものがあった。いまはなんとかなると割り切れる。これが年の功というものなのだろう。

 ものは考えようだ。怠惰になったとも言えるし、余裕が生まれたとも言える。すべては春の陽気のせいにしてしばしは身体を休めることとする。

筆圧

万年筆のすすめ

 私は決して字が上手くはないが書くことは好きであり、手書きする機会は一般の人よりは多いほうだと考えている。最近、痛感しているのは筆圧が肝心であり、それを意識するには万年筆で書く機会を作ることだということだ。

 筆圧を調節することは意外に難しい。鉛筆やボールペンなどは筆圧の加減をあまり意識しなくても書ける。ただ、多くの場合筆圧が強すぎると筆先の制御が難しく意図した字画が書けない。結果として下手な字と認定されることになる。

 筆圧に敏感な筆記具を使うようにすればこの事実に気づくことができる。一番いいのは毛筆だろうが、すぐには用意できない。筆ペンもよいがいつも筆ペンを使う人は少ないだろう。万年筆はその点、日常使いができるのでよい。日本のメーカーが作っているものの中には筆のようにしなるペン先を持っている製品もある。

 万年筆で字を書こうとするといつもより力を抜かないと上手くかけないことに気づく。すると、いつの間にか力が抜ける。この感覚を他の筆記具でも援用すると思い通りの字画が書けるような気になる。これが大事だ。

 安い万年筆もたくさんある。インクが途切れず出るものであれば、上記の目的は達成できる。私がようやくたどり着いた境地だ。

再起

再起はいつでもできる

 日本ではいまが入試のシーズンだ。すでに受験が終わり、結果も出たものもあるかもしれない。その中にはうまくいかなかったものもあるかもしれない。私もそういう経験をいつくも重ねているので、それなりに残念な気持ちは理解できる気がする。もちろん本人でないと分からないことのほうが多いはずだが。

 試験の結果は人生の方向を変える。それだけに結果にこだわるのだ。でも、よく考えてみれば方向はその時に変わっただけのことであり、それでも前に行きたいのなら行けばいいのだ。隘路は少々進みにくいが目標がもっと遠くにあるならば辿り着けるかもしれない。

 別の向きを見たことで開ける風景もある。あるいはそちらの方がよかったということもしばしばある。多くの場合、それは後になって気づく。

 試験の結果を人生の分岐のように言う人は多い。以上のような訳でそれは半分正解で半分は当たっていない。落ち込むより次を考えた方がよい。試験ですべてが決まるような時代はかなり前に終わっているのだから。