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制御

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。もう知らない誰かが罹ったいうレベルを超えてすぐ近くまで病魔が迫っている感がある。感染拡大を行政の失敗と非難する人も出てきた。当たっているが間違ってもいる。

 政治家ができるのは外出規制や補助に過ぎない。人々の動きを拘束できない以上、判断は各自に任されている。また、そういう社会を望んでいるのは私たちだ。

 指導者たる人がとるべきは各自が適切な判断をくだせるようにその都度情報を提示し続けることだろう。それが不十分なまま勧告しても従う人は増えない。

 制御することは不可能かもしれないが、とるべき方法はまだある。低下する関心の中で増加する犠牲者がいる。私たちは今一度冷静に状況把握をするべきなのだ。

 

アメリカ大統領は

 大統領選挙の開票が始まった。最近の世論調査ではバイデン候補がリードしているというがまったく当てにならないのは前回で証明済みだ。景気回復を国民の自尊心と結びつけて果敢に猛進するのか、弱者救済を考慮しながら多少の損失があっても協調を重んじるのか。アメリカ国民にとっては難しい選択だろう。どちらの候補にも大きな難点があるのも話を複雑にしている。

 日本では二人の候補を漫画ドラえもんの登場人物にたとえて紹介する報道がある。トランプ大統領はわがままで強引なジャイアンに、バイデン候補を優等生の出来杉くんだとするものだ。これは自国民にとってはある程度当たっているのかもしれない。ただ日本にとってはどちらの候補もジャイアンであることに変わりない。

 次なる大統領が何を目指し、何を要求してくるのか。その辺を見きわめながら手製のドラえもんにその場しのぎの機械を出してもらうしかあるまい。

あと1週間

 アメリカ大統領選挙まであと1週間だ。我が国の未来にも多大な影響をもたらす選挙だけに注目している。共和、民主のどちらが勝利しても日本に有益というだけではない。いずれにもリスクがある。

 国際的な協調を基盤として生きていくしかない我が国にとっては、アメリカという大国の力をうまく活用し、ときに協力し、あるいは批判して超大国の本筋を踏み出さないように影響を与えることが必要だ。経済問題は重要だが、東アジアの治安を維持するための同盟関係を展開することの方が大切だ。隣国との小競り合いに事態を見誤ってはならない。

 大統領候補のいずれにも欠点が見えるのが今回の選挙の難しいところだ。アメリカ国民はどのような選択をするのだろうか。

どちらになっても

 アメリカ大統領選挙はいよいよ大詰めだ。今のところ挑戦者のバイデン候補に部があるとメディアは報じているがアメリカ人の判断はどうなのかは分からない。単純な多数決でないことも予測を難しくしている。

 日本にとってはどちらの候補者が大統領になっても、相応の対応が必要であり、それが容易ではないということだ。まずはこの国の土台を固めなくてはなるまい。非戦協調の路線を選択した我が国は分断志向の時代では生きにくい。国際舞台で相応の役割を果たすことで、共栄の時代にせねばなるまい。

 指導者を育成することが、とても大切になっている。

Twitterは公式なのか

 アメリカ大統領選挙ではソーシャルメディアによるキャンペーンが繰り広げられげいる。選挙に向けていまが佳境だ。果たしてソーシャルメディアのつぶやきは公式の見解なのか、無責任なつぶやきなのか。そのあいまいさが気になっている。

 トランプ大統領のツイートは時に過激であり、およそ大国の首席とは思えない表現も出る。しかし、これは公式な見解ではないと思ってみれば、人柄のあらわれとして考えることができる。しかし、時にツイートを政策上の手段として使うこともあり、果たしてどれほど本気なのか分からない。

 これはアメリカだけの話ではない。我が国でも政治家が微妙な立場をつぶやきで済まそうとする。しかし公人が不特定多数の人に発言する表現が非公式などと言えるのか。いま大変疑問に思っている。

大統領の罹患

 トランプアメリカ大統領がコロナウイルスに罹患したというニュースは世界に衝撃をもたらした。選挙の直前ということでその影響力は甚大だ。まずは回復をお祈りしたい。

 トランプ大統領がこのニュースで特に注目されるのは、自身がウイルス軽視の立場を取り続けてきたこと、その結果世界でもっとも死者を出した国になっていることである。政策次第では被害者の数が軽減されていたのではないかという説もある。

 大統領が国民のロールモデルであるという考えはアメリカにはないのかもしれない。尊敬すべき存在としての国家元首という考え方はなさそうだ。自分に利益をもたらす人物であれば多少問題を抱えていても構わないのだ。トランプ失脚を恐れているのは税制上優遇されている富裕層だろう。

 大統領の罹患という非常事態でも、心配の対象は彼の健康ではない。大統領はそういう立場の人だといわれればその通りだが、何ともやりきれない思いが残る。

ネガティブキャンペーン

 アメリカ大統領選挙が近づいている。この時期になると残念なことがある。それは相手陣営に対するネガティブキャンペーンが始まることだ。

 明らかな非を指摘するのならいい。しかし、大半はいわゆる粗さがしであり、言わずもがなの内容も混じる。また誰が言ったのか分からないようにして言う巧妙な悪口雑言も混じる。それが民主主義の必要悪のように感じさせられてしまうのが実に残念だ。

 もちろん世の中は善意だけではできていない。どんな善人に見える人にも、見方によっては悪事に見えることはいくつも行っている経験はある。そのどちらかを誇張することは様々な問題がある。特にネガティブの方向に延長することには明らかな悪意がある。それがまかり通るのが、そしてあたかも正義であるかのように行われるのがアメリカ大統領選挙であるようだ。とても辛い事実である。

 もちろん民主主義を生きる私たちはもっとタフにならなくてはならない。巧言令色に包まれて本質を見失うことがないよう常に現実に向き合うことが必要だ。主人公が何者かではなく、自分であるためには清濁を併吞する必要があるのは事実だ。

 あっと言わせるような感情操作に騙されないこと。本当に必要なのは何かを常に忘れないことが大切だ。それは時々思い出さなくては忘れてしまう覚悟なのかもしれない。

トップ人事

 次の首相が誰になるのか。大きな問題だが、我が国の場合は意外にもあっさりと決まりそうだ。

 自民党はいくつかの派閥の連合で構成されており、党内に党があるといってよい。それは強みでもあり、弱みでもある、一つがくじけてもすぐに他から人材を出せる反面、それを見込むあまりに新しい政策を展開することは難しい。強いリーダーシップよりは多くに納得される平均的な能力を持った人物が選ばれやすいのだ。

 誰が次の首相になってもそれほど大きな政策転換はない。ならば癖のない、人のよい人を首相しておこう。そんな選び方が我が国のリーダーを決めている。今回は党員参加の選挙もしないようだ。ごく少数の人たちで決まることになる。

 政治的空白ができないのは強みだ。だが、これでいいのだろうか。次の人材がいない現状を私は単純に危惧している。

転機

 安倍晋三首相が健康上の理由で辞任を表明した。流動性が高かった日本の指導者の中で長期にわたって政権を担当していただいたことに感謝したい。

 安倍内閣の功績の一つにアベノミクスと自称した金融緩和策がある。人工的になだらかなインフレーションを起こし、国民の生産性を上げるという政策だった。残念ながら結果は出ず、消費税だけが上がってしまったのは失策だった。

 だが、よきにつけ悪しきにつけ、実態以上の生活水準を送っていられているような錯覚を与えてくれたことは功績なのではないか。もし、この政策がなければ国勢の衰退をもっと多くの人が感じて混乱が起きていたかもしれないからだ。

 次の指導者がどのような方針に転じるのか分からないが、国際的競争力が急速に減退している我が国の現実を踏まえた発言をしてくれる人を切望する。いまの生活水準を今後も保つこと自体が困難な局面にあること、ただ国民の意識の変革や、行動を変えることで復活のチャンスはあること、そのためのバックアップを政策とすることなどを力強く語ってもらいたい。

 力のあるリーダーの損失はマイナスが大きい。しかし、ここまでの閉塞感を打開する絶好の機会でもある。

首相の言葉の意味

 広島と長崎の原爆記念日の首相の言葉がほとんど同じであったことが話題になっている。過去にさかのぼって調べた記事もあり、実はこれまでもあまり違いはなかったようだ。気を付けなくてはならないのはそのことではない。

 広島と長崎の被爆はアメリカの核による脅威を世界に見せつける目的があったという。形式の異なる原子爆弾を落としたもの実験的な意味があったと考えられている。降伏しない日本軍への決定打として、東進するソ連の共産勢力への威力誇示など様々な意味があったようだ。

 75年の歳月を経て被爆の歴史的意味が様々に解釈される中で、日本の首相の発言の意味は大きい。しかし、それがもはや類型化され紋切り型になりつつあるのは残念だ。被爆国として世界にメッセージを発信できる貴重な機会を無にしてほしくない。

 反戦運動もまたしかり。その精神が類型化してしまえば説得力は急速に失われる。戦争の加害者であり被害者でもあった頃の記憶を失えば、教科書の写真をみるのと同じようなものだ。首相にはそれをさせない行動をとってほしい。来年は誰がやるのかわからないが、期待できるだろうか。