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戦いの扉

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ロシアの侵攻が止まらない。その中で我が国でも本格的な軍備をすべきだという議論が出てきているようだ。人類の歴史は時に振れが大きくなる。平和の反動で戦争が起こることもある。それが恐ろしいことだ。

無責任に軍拡を唱える人はおそらく戦場に立つ勇気はない。人殺しが公認される戦争は私たちの想像を超えている。誰もが戦うことは恐ろしいと考えるのに、戦わざるを得なくなるのが人類の進化上の限界なのか。

戦いの扉はいとも簡単に開かれてしまった。扉の向こうから強烈な吸い込みが起きている。いろいろなものが戦場に引き込まれていく。高みの見物を決め込むはずが、いつの間にか関係者になっている。戦争というものの吸引力は凄まじい。

戦争に対して私は無力だ。せめて、反戦の気持ちを書くことで、密やかな抵抗を試みる。この戦いはすべての人を不幸にする。どちらも敗者になる。ロシアのような大国が戦争をしてしまったことが残念でならない。

叡智を

 ウクライナの内線に乗じて戦争が始まろうとしている。この手法は太古以来の伝統的なものであり、回避すべき策を探さなくてはならない。

 この戦いの背景にあるのは双方にある被害者意識だという。いずれも過去に侵攻され、多くの犠牲が出ている。その恨みが解消されないまま、現代に至っている。容易ではないが、まずはこれを直視するしかない。

 ウクライナ戦争の動向は今後の世界情勢に影響するという識者もいる。武力行使による現状変更が許容されれば、世界各地で同様のことが起こりうるというのだ。第三次世界大戦ご始まると煽情的な表現をする人もいる。

 戦争は政治的にも経済的にも割に合わない愚挙であり、それ以前に殺人が正当化される事態が出来することはなんとしても避けなくてはならない。過去の歴史が示すようにこれは後世に残る深い傷となる。

 平和交渉に係る叡智を集めるべきだ。日本は近代戦争を経験した国として、この方面に活躍する人材をもっと輩出すべきだと考える。

戦争回避を

 ロシア軍がウクライナに侵攻するのではないかという憶測が出ている。オリンピック終了がその機会であると具体的に考える人までいる。ロシアがウクライナの領土を求める理由はいくらもあるというが、それも逆から見れば別の論理になる。どんな釈明が成立するのだとしても戦争は回避すべきだ。

 ウクライナの歴史といえばクリミア半島をめぐるロシアの執念が想起できる。世界史の授業でもこの件は大きく取り上げられていたので知っている人は多いだろう。私もその程度の知識しかない。もともとこの地にはウクライナ人のほか、多くのロシア系、ベラルーシ系の人が住み、さらには隣国のモルドバ系の人や、モンゴル帝国にルーツを持ちイスラム教徒のクリミア・タタール人、さらにはユダヤ人もいるという多民族国家だ。だから、ロシアに対しての思いも様々であり、中には独立もしくはロシア併合を望む国民もいるというから複雑だ。

黒海沿岸は複雑な歴史を持っている

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 どこの国でもそうだが歴史の積み重ねによって多様な人々が同じ土地で同居しており、それゆえのトラブルもある。しかし多様性はその地域の強みにもなり、うまく生かせれば利益を生むことの方が大きい。おそらく、かなり長い年月をかけて現在の国民国家という枠組みはなくなっていくのかもしれない。夢のように長い物語の末の話だろうが。

 戦争による現状の変更は一時的には達成できても長期的には無駄になる。多くの人的犠牲が出るし、怨嗟はいつまでも続いて別の戦いの種となる。それは歴史から学ぶことができる教訓だ。ウクライナは確かに複雑で一筋縄ではいかない。しかし、性急に力による変更を加えてもゆがみが大きくなるばかりなのだろう。関係国の思惑がさらに話を複雑にしている。

 日本人としてできることは少ないが、戦争の不毛さは訴えることができるだろう。この国もかつて戦い未だにその傷が癒えない。確かに経済的には復興できたが、隣国からは時に恨まれ、結果的に大きな損失を受けている。やるべきことは戦争ではない。ほかの方法を考えていただきたい。

クリスマスイブ

 今日はクリスマスイブだ。キリスト教徒でもない私や、多くの日本人がなぜかこの行事は我がごとのようにこの行事を考える。実は私はカトリック幼稚園に通っていたため、年末にキリスト生誕の様を演じる「お遊戯」をしたことを覚えている。ヨゼフ役でほとんど立っているだけだった。

 クリスマスは聖なる日として考えられている。実は聖書には書かれてはいないらしいが、心を清らかにすることができるのならどうでもいいことだろう。今年はウイルスという世界共通の敵と戦う一年であった。英国で報告されている変異種の存在が真実ならばその戦いはもう少し長引きそうだ。いまは人同士が争う場面でない。人智を結集して乗り切ることを考えるべきだ。

 現実の世界はさほど公平ではなく、醜い場面がいくらでもある。利権をめぐって常に小競り合いをしている。そんな世の中だが、せめて聖なる日は身の回りの平和を考えたい。多神教の日本は節操がないといういわれるが、その意味では世界中の聖なる日を集め、暴挙に走ることがない世界を広めたいと考えてしまう。

 

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首相の言葉の意味

 広島と長崎の原爆記念日の首相の言葉がほとんど同じであったことが話題になっている。過去にさかのぼって調べた記事もあり、実はこれまでもあまり違いはなかったようだ。気を付けなくてはならないのはそのことではない。

 広島と長崎の被爆はアメリカの核による脅威を世界に見せつける目的があったという。形式の異なる原子爆弾を落としたもの実験的な意味があったと考えられている。降伏しない日本軍への決定打として、東進するソ連の共産勢力への威力誇示など様々な意味があったようだ。

 75年の歳月を経て被爆の歴史的意味が様々に解釈される中で、日本の首相の発言の意味は大きい。しかし、それがもはや類型化され紋切り型になりつつあるのは残念だ。被爆国として世界にメッセージを発信できる貴重な機会を無にしてほしくない。

 反戦運動もまたしかり。その精神が類型化してしまえば説得力は急速に失われる。戦争の加害者であり被害者でもあった頃の記憶を失えば、教科書の写真をみるのと同じようなものだ。首相にはそれをさせない行動をとってほしい。来年は誰がやるのかわからないが、期待できるだろうか。

長崎忌

 1945年8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、推定7万4千人が死亡した。そのほかにも多くの関連死・後遺症が今でも続いている。長崎原爆記念日は私にとっては特別な意味を持つ。

 長崎に原爆が投下された日、私の父は北九州の八幡の近くに住んでいたという。いまでも多くの親戚がこの地で暮らしていたのは、製鉄所の町として栄えていたからだろう。当時は軍需工場も数多く存在した北九州は実は原爆の目標地点であったという。テニアン島から飛び立ったB29は北九州の目標をめがけて飛んだが、天候が悪く急遽長崎に標的を変更した。大浦地区上空での炸裂が多くの犠牲者を出したことは日本の無条件降伏に大きな影響を及ぼしたといわれる。

 もし北九州が晴れていたとしたら、間違いなく私の父は爆死していたに違いない。私はこの世にはいないはずだ。その反対は長崎で起きた。今私と同じ時代を生きているはずだった人が生まれてこなかったのである。

 このような運命はいつでも起こりうる。それはもちろんそうだ。人生は偶然であり、何一つ決まったことなどない。ただ、その選択はあくまで人為とは別の次元で行われるべきだ。人の作り出したもので人生を変えてしまってはいけない。戦争というのはそれがいけないのだ。偶然を決めるのは決して人間であってはならない。8月9日になるといつもこのようなことを考える。

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東京大空襲

 1945年3月10日に東京東部の人口密集地に連続的な空爆が行われ、少なくとも10万人以上が死亡しました。いわゆる東京大空襲です。

 戦時中とはいえ、これほど大規模な殺戮がいわゆる通常兵器で行われたことや、被害者の大半が非戦闘員であること。意図的に一般市民が狙われたことなど、人類の戦争の歴史上特筆すべき出来事でした。

 ところがこの事実をすでに知らない日本人が多い。戦争という特殊な状況がもたらしたこととはいえ、冷静に考えて許されざる事実です。このことを考えるのを止めてしまうと同様のことを繰り返してしまう。

 被害者的な立場でだけではなく、人類の叡智として非戦闘員の無差別殺人は戦時中であっても絶対に避けなくてはならないことを忘れるべきではありません。

みんなで作る

 個人の幸福が尊重され過ぎた代償として私たちは公共の福祉についての価値を下げてしまいました。社会が縮小化するいま、改めて共同体の幸福を考え直す必要があります。

 個々人が幸福を追求することは現代社会の常識であり、条件でもあります。個人の幸福が保証されているからこそ、私たちは安心でき、明日を生きる活力が得られます。ただ、さまざまな閉塞感が漂う昨今の情勢においては、個人の利益追求だけでは立ちゆかなくなっていることも事実です。一人ではできない段階に入っています。

 誰かが成功してもそのために多数が不幸になるという悲しい現実も情報化社会にあってはすぐに顕在化します。それが環境問題など地球規模で影響を与えるものとなると一層深刻です。誰か一人が幸せになるということが難しいのです。

 このような現況にあって必要なのは人間が集団の生物であるという再認識です。一人では生きられない人間は幸福の基準を個ではなく集団に置くべきなのです。そしてその集団が成り立つためにはより大きな環境が保全されなくてはならない。そうした基本に立ち帰ることが不可欠なのでしょう。

 人のために何かをする尊さを先人は語り続けてきました。この話はそれを別の表現で述べているのに過ぎません。まずは自分の近くにいる人を幸福にするために何ができるのかを考えていくべきなのです。未来はみんなで作るものなのです。

終戦

第二次世界大戦の事実上の終戦の記念日です。74年目というのです。わたしの生きた時間より長い歳月の流れの中で日本は大きく変わりました。

戦争の犠牲者は日本人だけではなく、敵として戦った人や戦場で巻き添えになった第三国の人々や日本の占領下で苦しんだ人々など多様な在り方があります。その個々の記憶が風化したり変化したりしたものがあり複雑です。

戦争の犠牲者という面だけではなく、当事者としてこの問題をどのように捉えることが出来るのか。それが年々困難さを増しているような気がしてなりません。