マフラーを今シーズン初めてつけた。朝晩は結構冷えるので万が一の対策である。マフラーの巻き方にはいろいろあるが、なぜか首に巻いた残りを背中に回し、羽のように垂らしておくやり方を印象的に覚えている。
それは恐らく昭和のトレンディドラマのヒロインが巻いていたやり方が私の世代で流行していたことによるのだろう。スカーフの真知子巻きではないが、メディアが流行らせたスタイルがあったのかもしれない。
これからは最低気温が一桁で、氷点下になることもある。マフラーが活躍することになる。
日々の思いを言葉にして
タグ: 冬
マフラーを今シーズン初めてつけた。朝晩は結構冷えるので万が一の対策である。マフラーの巻き方にはいろいろあるが、なぜか首に巻いた残りを背中に回し、羽のように垂らしておくやり方を印象的に覚えている。
それは恐らく昭和のトレンディドラマのヒロインが巻いていたやり方が私の世代で流行していたことによるのだろう。スカーフの真知子巻きではないが、メディアが流行らせたスタイルがあったのかもしれない。
これからは最低気温が一桁で、氷点下になることもある。マフラーが活躍することになる。
寒波到来を予感するような曇天の一日だった。夜には大粒の雨が降った。北陸ならば雪になりそうな気配だ。関東は種々の条件が揃わないと雪にはならない。
明日の予想最高気温は10℃だという。本格的な冬の陽気を感じ始める気候になるだろう。この気温はもっと寒い季節になれば、小春日和のような感覚で捉えられるはずだ。でも少なくとも今の時点では少し脅威を伴った寒さである。
体感はいつでも相対的なもので、暑いとか寒いとかはその前の数日との体感差に過ぎない。ゆっくり寒くなるのと、急激に冷え込むのとでは同じ気温でも印象は全く異なるのだ。
明日は急激な変化となりそうできっと凍えるように感じることだろう。でも、そんな日が続くと今度は最高気温が二桁あることが特別のことのように感じられるようになるはずだ。
夜に車を走らせていたら、突然ゆっくりと落ちるものが降ってきた。それが今年の初雪だった。ほとんど晴天で雪など降ろうはずないと思っていたが確かに舞い落ちていた。
数分のうちに止んで元の関東の冬に戻った。強烈な寒波のために雪雲の成れの果てが最後の役目を果たしたのかもしれない。そう考えてみると愛おしくも感じる。
今回の寒波は1週間ほど居座るという。雪国の皆様には無理せず無事にお過ごしいただきたい。相対的にはそちらの方が豊かなことは知っている。雪下ろしの際に油断は禁物だ。
関東に移り住んでもう20年以上も経つと雪の害も益も分からなくなる。ただ、降雪は試練ではあるが、それ以上に恩恵も大きい。
東京で数分降った雪に心を乱している事自体がすでに変質してしまったということなのだろうか。少なくとも脊梁山脈の彼我に暮らした経験は、無駄にはならないと考えている。
元日という言い方は古いのだろうか。若い世代では元日という言葉を使わなくなっているのかもしれない。先日、ある場所で若者の話すのを聞いているとどうもその中に元日の意味がわからないという人がいるようだった。1月1日のことだと仲間に教えてもらい。知らなかったと答えていた。どうも、それまでの人生に元日はなかったようなのだ。

年賀状に書く元旦の方はもっと分からないのだろう。1月1日の朝を意味するこの言葉を知らなければ賀状の意味は理解できないし、年賀状のお返しに元旦と書いてしまうことになる。もっとも最近は年賀状を書くこと自体が減っているからこの心配は無用なのだろう。
旧暦においては元日は皆が一斉に歳をとる日であり、神を迎え共に御膳をいただく神聖な1日だったはずだ。今は単なる通過点に過ぎない。あえて言えば商店等が休業になる所が多いということだけが他の一日と異なるだけなのだろう。
今年の元日は能登の大地震が発生し、大変驚いた。何があるかわかないが、石川啄木の「何となく、今日はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。」のような1日になってほしいと願うばかりである。
2024年は12月21日が冬至に当たる。二十四節気のうちの大きな節目である冬至は一年で最も昼の長さが短くなる日であり、逆に言えばこの日から昼の長さが少しずつ長くなる。その意味では復活の日ともいえる。古人は物の影が最も長くなる日として把握していただろう。多くの節気が暦の存在を前提としているのに対し、直感的に感じ取れる当時は特別なものであったはずだ。
冬至の記録上の初出は『続日本紀』の725年11月の記事である。当時は聖武天皇が国家仏教の考えのもと様々な行事を行っていた時期であり、冬至を祝うのも大陸の風に倣ったものであろう。ただそれ以前から、冬至に関する民間伝承はあったはずだ。たとえば天岩戸神話が冬至に行われた祭祀と何らかの関係があったのではないかという説は有力である。世界を見渡してもクリスマスのようにこの時期の前後に何らかの宗教行事を行う文化は多い。しかもそのテーマが復活や再生であることは自然現象に対する人間の素朴な信仰に端を発しているのかもしれない。気象学的には厳冬期に入る直前の季節であるが、日の長さが長くなる事実は人々にとっては頼もしいことであり、生命力の再興を想起させたのだろう。
南瓜を食べたり、柚子湯に入ったりとさまざまな民俗があるが、今よりはるかに過酷であった冬季をしのぐための生活の知恵が形を変えて定着したものと考えられる。現代人はその理由をすでに理解できなくなっているが、おそらく切実な願いが背景にはあったのだろう。空を見上げることも、明日の天気を占うこともおろそかになっていることを反省するのである。
これから気温がが下がっていくという予報が出ている。強い寒気が南下する影響で寒い季節に拍車がかかるようだ。東京でも明日、もしかしたら初雪になるかもしれないという。東京の降雪の条件は微妙な要素が多く予報が難しい。もしかしたらという覚悟でいたい。
初雪を吉兆と見る精神は古代からあった。雪を豊作の予兆と考えるのは農耕民の経験知のなせるわざだろう。表土が雪に覆われることでかえって保温されるということを故人は理屈ではなく知っていたのであろう。
東京人にとっては雪は年数回の珍事に過ぎない。その都度喜び、ちょっとしたことで事故を引き起こす厄介なものでもある。それでもやはり降雪はどちらかといえばポジティブにとらえられる。
明日、雪を見ることができるのか分からない。降れば冬の到来を実感することだろう。それは嬉しい確認であり、覚悟を促す天象でもある。
渋谷に住んでいた頃、代々木オリンピックプールに時々泳ぎにいった。競技用なので水深が深く、あまり水泳が得意ではなかった私にとっては少々恐怖もあった。
そのプールが冬季にはスケートリンクになった。これもホッケーやフィギュアスケートの国際大会が出来る仕様なので広くアマチュアというか初心者には贅沢だった。よく考えると滅多にない体験をしていたことになる。
アイススケートも得意ではなく、何とか周回できる程度であったが、なぜか何度も行きたくなった。怪我しても筋肉痛になってもだ。
でも、今となっては相当な勇気が必要だ。イメージ上では華麗なターンを決めてみても、実際に身体が着いてゆくとは思えない。でも一度やってみたいとは密かに考えている。