今年行われたラグビーワールドカップが残したものは大きいと感じています。日本チームの健闘はもちろんですが、そのチームが多国籍の選手で作られ、しかもその戦略は日本語で行われていたことが非常に示唆を与えてくれました。スポーツのあり方を越えた今後の社会の方向を予感させてくれるものでした。
イングランド大会で日本代表チームが南アフリカに勝利したときには、日本代表選手にカタカナ名の人物が多数いたことに対して一種の拒否感があったことは否めません。それがラグビーという競技の特殊性という枠の中で納得されようとしていたことも事実です。今回の日本大会でラグビー流の考え方は一気に広まりました。そしてこの競技はいわゆるにわかファンを受け入れる懐の深さがありました。
この大会でかなり多数の日本人は各国の国歌を覚え、試合前の国歌斉唱で歌いました。地域の取り組みとして国歌を披露したこともあったようです。国別対抗という形をとる試合ではどうしてもホームアンドアウエー的な殺伐した感がでてしまうのですが、日本の取り組みはそれを緩和するものでした。日本流のおもてなしだと考えられた行いですが、実はこれは日本人にとって国のあり方を考えさせるきっかけにもなっていたと考えます。
チームに外国人がいることに対しての寛容性も一気に進みました。外国籍の選手が多数いても日本代表として疑われなくなりました。当時は韓国籍だった選手がもっとも負担の重い最前線でチームを支えてくれていたことに対して大きな賛辞が送られていました。日本国籍を取得した人、国籍上は日本人でも他国の文化を持っている人などさまざまな背景の人たちがチームを組んでいるのを知り、それを素直に応援することができました。いわゆる純血に拘っている限り決して見ることができなかった風景を見ることができたのです。のちに生まれたOne Teamという言葉は非常に象徴的なものでした。
スクラムを組む時の日本独自の作戦は日本語を通して練られたといいます。「間合い」といった伝統的な日本語をチームで共有し微妙な力のベクトルを修得していったそうです。日本語でビクトリーロードという替え歌をみんなで歌うことでチームの士気を高めたとも言います。ということは多文化共生は単なる雑居ではなく、揺るがない独自性というものがあって力を発揮するということになります。日本文化が移民によって汚され薄められてしまうという危惧は確かにありますが、それよりもこの国の文化のよさをはっきりと認識し、新入りに伝えていくことの方が現実的なことなのです。
スポーツを離れた社会全般にもこのことは言えます。これからの日本はいろいろなことを受け入れていかなくてはならない。そうしないと国としての形を保てなくなります。ただ、どのようになっても今まで築き上げてきた伝統を強みとして磨き上げ、新しい時代に適した形で伝えていく必要があるのです。そのためにはもっと自分たちについて知らなくてはならないし、理解したことを言葉にしていかなくてはならない。グローバル化と言いつつ、自国文化を顧みなかったこれまでのあり方を反省し、日本文化を武器にすることを考えていくべきであると改めて考えています。