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欧米での新型コロナウイルス拡大

 報道によるとヨーロッパやアメリカで新型コロナウイルス感染者数が再び増加傾向にあるという。一部の国や地域では外出制限を発令して感染予防を呼び掛けているが効果は限定的なようだ。このブログを海外でご覧いただいている方もいるようなので、日本の状況についてまとめておく。

 日本でもコロナウイルスの感染者数は増え続けている。現時点で97095人が感染し、1716人がこれが原因で亡くなられている。痛ましい事実であるが、世界の他国の感染者数と比較すると少ないという表現ができる。昨日の東京の発症者は102人である。月曜日の統計はかなり低く出るのだが、3桁になったのは8週間ぶりであり、増加傾向にあることは否めない。日本をはじめとする東アジア諸国はこのウイルスとよく戦っているといえる。発生源と思われる中国が近いのにも拘らず、韓国も台湾も感染者数は低く抑えられている。中国のデータは信用していいのかわからないので除外するが、人口100万人当たりの感染者数は日本が771人、韓国が501人、台湾は23人、ベトナムは12人しかいない。アメリカは26533人、ブラジルは25460人、フランス16313人、イギリス13153人などと比較するとまさにけた違いだ。(ネット上の安易な情報収集によったもの。各国の基準が異なる可能性があり全面的な信用性はない)

 だから日本でもコロナウイルスの脅威は十分に知られているし、ほとんどの人は外出時にマスクをする。店に入るたびに手指の消毒を求められ、場合によっては検温が条件となる。夏の暑い盛りでもマスクは外さなかったし、いまは眼鏡が曇るのに閉口しているがそれでも続けている。もともと公衆衛生にはうるさい国民性と、こどもの頃からの手洗いうがい教育が奏功しているのかもしれないが、日本ではウイルスに対する生活習慣があったのが一つの要因になっているのは間違いない。さらにはすでに中国からの旅行者が弱毒性のウイルスを運んでおり、それに対する抗体ができていたとの説や、BCGなどの他の目的のワクチンが効果を発揮しているといった説も日本では取りざたされている。いずれも真相は分からない。

 そういう状況なので、実は欧米での悲惨な状況が日本国民にはよく理解できていない。単純に考えて、日本より30倍以上の感染者がいるアメリカ人がどうしていまだにマスクをせずに集会を行うのかが理解できない。22万5千人を超える死者がすでに出ているというのに、次が自分の番であるかもしれないと思わないことが分からない。きっと数字だけでは分からない何かがあるはずだ。そう考えないと腑に落ちないのである。

漫画と老眼

 残念ながらかなり老眼が進んできたことを実感している。近視なので遠くを見るには眼鏡が要り、近くは邪魔になる。実に面倒な状況だ。しかし、気づいたこともある。ものの見方が少し変わったのだ。

 絵を描くときはラフな描写から始めるという。クロッキーというものもあった。ぼんやりと位置関係だけを捉えるものだ。その状態でも少なくとも描いた本人は画像が再現できる。そしてこの状態は眼鏡を外してみている私の視覚と似ている。

 つまり、はっきりとはわからないがそれと知れる程度の画像を私は見ていることになる。それを紙の上に描けばいいのだ。そう考えると絵が描けるようになる気がしている。老眼になって失うものは多いが、得られることもまだあるはずだ、

GDP戦後最悪の落ち込み

 今日、年率で27.8%というGDPの暴落が発表された。リーマンショックを上回る落ち込みに多くの人がショックを受けている。緊急事態宣言で経済を止めたことが直接の原因であることは間違いない。

 ただしこれは日本だけのことではない。世界的にコロナウイルスショックは大打撃を与えており、世界中が同病相憐れむ仲である。ただし、これを短期的には救済していかなくては傷口が広がる。ウイルスについては引き続き警戒が必要だが、自粛の行き過ぎにならないようにしなくてはならない。これまでの症例をもっと公開して可能なことと不可能なことを多くの人が共有すべきだ。

 今後のことを積極的に考えなくてはならない。失業者の再雇用の方法を模索するべきだ。私だっていつ失業するか分からなくなってきた。再就職の準備を個人的にも始めなくてはならないだろう。そういう機会がないことを祈るが。

 今は大きな逆境にある。辛いことだが、こういう時にイノベーションは起きやすい。私自身もそれを傍観するのではなく挑戦する側に立ちたいと考えている。

体力

 間もなく短い夏休みに入る。厳戒状態の休暇なのでレジャーにも行けない。猛暑は続くといい条件はがあまりない。ただこの期間にはやらなくてはならないことがある。

 その一つが体力作りだ。小さなトレーニングから始めて行こうと思う。自粛要請期間に風邪を引いてしまったのは体力の低下で免疫力が落ちたからだと考えている。

 やれることは限られているが、やれないことはない。まずは早朝の散歩から始めてみよう。

身体ならし

 今日は夏の日差しが降り注いでいる。気温も上がっている。酷暑とまではいかないが体調に影響を及ぼす暑さだ。いつもならば当たり前のことなのだが、今年は少し事情がちがう。

 マスクを着けたまま外を歩くのはやはりつらい。息苦しさはもちろんだが、口から発散される体温がうまく放出できない気がする。科学的に合っているのかどうかは分からないが。通り過ぎた婦人が連れた飼い犬の息がいつもより荒そうにみえるのは気のせいだろうか。

 冷房のもとに逃げ込むのも手だが、少し体を慣らしていかなくてはならないと思い、散歩をしてみた。周りに人がいないときはマスクを外して歩くべきだと考えながら、結局つけたままだった。ならしはこれからも続けなくてはなるまい。

間もなく梅雨明け

 どうやら長い梅雨も終わりが見えてきたようだ。西日本の一部では梅雨前線の長期的影響は終わったと認定されたようだ。私の住む東京は今日も曇天で、時折雨粒を感じる。

 梅雨が明けると猛暑が続くのがこの地域のさだめだ。最近は酷暑という言葉も刺激が薄れつつある。マスク着用の上、過酷な高温が続けばコロナウイルスよりも強力な影響を与える。

 マスクの付け方について専門家は分かりやすく説明してほしい。ただつけなさいでは別の被害も発生する。

感染拡大と自然災害

 なかなか明けない梅雨空の下で、コロナウイルス感染者は急速に増えている。我が国ではPCR検査を積極的に行ってこなかったが、最近はこれを各自治体が実施しているために増えている。大半が無症状か軽症者というが、詳しいことは分からない。現状では社会的混乱は起きていないが、このままの状況が続くならば再び生活上の活動制限が行われる可能性が上がる。

 加えて豪雨による災害が各地で起きている。今日は山形県の最上川流域の氾濫による水害が発生している。映像ニュースによるとかなり大きな被害が起きていているようだ。日本は河川の多い国土で様々な恩恵を受けている反面、災害時には深刻な局面をもたらす。病魔と天災の二重の影響は非常に大きな問題だ。

 私たちは冷静にこの難局を切り抜けていかなくてはならない。

冷静に

 コロナウイルスの感染者が刻々と増えている。我が国では感染者数を低く抑えてきたが、これは検査数の少なさとも関係があると言われている。最近は積極的に検査を実施するようになって、30代以下の人々の感染状況も補足するようになった。結果的に軽傷もしくは無症状の感染者も計上することになっているのだという。

 経済活動再開に歓喜していた人々にとってはまた冷や水を浴びせられる結果になってしまったのは事実だ。このブログでも取り上げた政府の国内観光推進策も方向転換せねばなるまい。ウイルス拡散の政策と認知されれば政権の存亡にも関わる。ただ、以前のようなロックダウンの政策はもはや難しい。そもそも我が国では都市封鎖の効果はほとんどない。いたずらに自粛に走り、経済活動を止めれば感染予防以上のダメージがあるのは自明の事実でもある。

 識者にも予測不能の現況を私たち市民はどのように受け止めればよいのだろうか。まずは冷静にならなくてはなるまい。この期間の異常事態に正気を失ってはいけない。まずは足元を見ることから始めなくてはならない。コロナウイルスはかつて歴史を変えてきた天然痘やペストなどのような致死性はない。罹患すると確実に回復させる特効薬がないということが問題であって、すぐに死に至る病ではない。だから恐れすぎてはいけない。

 さらに、感染力もさほどではない。空気感染をする結核や水疱瘡のような威力はないと言われている。ある程度の予防策はある。最近、コロナウイルスも空気感染するとの報道があったが、諸見解を総合すると飛沫感染の可能性の方が高いようだ。その意味でマスク着用の意味はある。

 感染よりも重大なのが心理的な影響であると考える。コロナウイルスに対するショックは日常のルーティンを破壊し、さまざまな弊害を生んでいる。その中には生活のリズムを失って途方に暮れる人もいるという。私自身にもそう思う瞬間がたびたび起きている。実際に感染していなくても心身に不調を訴える人が出てきているように感じられるのは、精神的なストレスが作用しているのではないか。

 こういう時は冷静にならなくてはならない。緩やかな気分になるために大きな風景を見たり、穏やかな音楽を聴き、少々日光を浴び、孤独を避けなくてはならない。それだけで救われるものがたくさんある。世界は危機的な状況にあるが、致命的な状況では決してない。これから展開次第ではいくらでも状況は変わる。思いつめず冷静に過ごすことが大切なのだ。

見方次第

 最近、視力低下に悩んでいる。細かい文字が見えなくなったのは本当に困る。ときには腹立たしく感じることもある。

 加齢による宿命だと割り切ることはできる。同年輩以上の大半の人が同様の症状を訴えているのを見聞きすると、どういう訳か慰められたり、諦めがつきそうな気持になったりする。しかし、それでも残念に思う心の方が勝る。

 よく見えないことはいろいろな局面で不利益をもたらす。注意力とか推察力に負の要因をもたらすのはもっとも困った要素だ。日常のコミュニケーションにも目は口ほどに、いやそれ以上にものを言うはずなのに、それがうまくできない。

 ただ、よく見えないことがある種の恩恵をもたらしているのかもしれないなどと考えることもある。繊細な情報を削減することで精神的衛生を保てているのかもしれないからだ。最近はそう考えるように努めている。

次の波

 昨日、東京都の新型コロナウイルス感染者数が3桁に達したことが発表されました。第2の波がきたのではないかという人もいます。そうなのでしょうか。

 日本は感染者の積極的な割り出しに関して消極的です。軽症者が多いこの病気に対しては今のところはこれが結果的に奏功しています。なにしろ感染者と分かってもほとんど打つ手がないのですから。

 自粛要請が終わったあと。気をつけているとはいえ、密なる状態は随所に見られます。人間の活動自体が群集の中で営まわれる以上、避けることはできない事実です。

 本当の波はこれからくるのかもしれません。変異したウイルスが社会活動を止めることがないように祈るばかりです。しかし、それもいずれ克服できると私は楽観視しています。