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時短

 明日にでも緊急事態宣言が出されようとしている。状況からして回避はまず無理だろう。すると勤務時間も短縮される可能性が出てくる。以前は経験がなかったが今回はそれに備えることも可能だ。

 まずは仕事の選択と効率化を目指すしかない。総量は下がらざるを得ない。優先順位を決めて諦めるものはやめる。優先順位の高いものをやり残さないようにするべきだ。

 私の仕事はリモートワークにはならないはずだ。時間と空間の拘束もある。ただそれを自らの生活のリズムとし、メリハリをつけなくてはなるまい。デメリットはメリットでもある。

 新しい生活様式などと悠長にかまえていられない。やるべきことを少しずつやっていくだけだ。

GDP戦後最悪の落ち込み

 今日、年率で27.8%というGDPの暴落が発表された。リーマンショックを上回る落ち込みに多くの人がショックを受けている。緊急事態宣言で経済を止めたことが直接の原因であることは間違いない。

 ただしこれは日本だけのことではない。世界的にコロナウイルスショックは大打撃を与えており、世界中が同病相憐れむ仲である。ただし、これを短期的には救済していかなくては傷口が広がる。ウイルスについては引き続き警戒が必要だが、自粛の行き過ぎにならないようにしなくてはならない。これまでの症例をもっと公開して可能なことと不可能なことを多くの人が共有すべきだ。

 今後のことを積極的に考えなくてはならない。失業者の再雇用の方法を模索するべきだ。私だっていつ失業するか分からなくなってきた。再就職の準備を個人的にも始めなくてはならないだろう。そういう機会がないことを祈るが。

 今は大きな逆境にある。辛いことだが、こういう時にイノベーションは起きやすい。私自身もそれを傍観するのではなく挑戦する側に立ちたいと考えている。

人手不足であったことを忘れずに

 コロナウイルス対策のため営業自粛を強いられた企業は、雇用者を減らすことで危機を乗り切ろうとしています。しかし、人手不足であったために起きていた弊害があったことを忘れてはいけません。

 いろいろなことが機械で代替されている中で、様々な業種で業務のコモディティ化が進んでいます。価格競争で一円でも安くという方法ではその場で勝てても結局は先細りになってしまう。これからの時代に必要なのは価格だけではなく質の高いサービスです。そのサービスを提供できるのは熟練した社員であり、短期的な雇用では期待できることは限られています。

 他にはないサービスを提供できれば、顧客は価格ではなく幸福感に投資するようになります。もちろんあまりにも高額なものではだめですが、安いだけが取り柄の商法よりも上を目指すことで商機が発生します。このことを踏まえるならば人間を安く買う会社は今後かなり苦戦していくでしょう。コロナウイルスの打撃は深いですが、ここで人材を放出してしまったならば致命的な結果が待っているような気がしてなりません。

在宅勤務

 在宅勤務を始めて分かったことは「いつでもやれるはいつまでもやらない」ということだということです。これは結構大きな問題かもしれない。少なくとも私にとっては乗り越えなくてはならない課題です。

 在宅勤務の良いところは自分のペースで仕事ができることです。途中で別の仕事が入って仕事が中断するということがほとんどありません。メールが来てもある程度は放置できます。自分のペースでできるとなると、時間配分が自己本位になり、そしてついにはやれることもできなくなる。そういうことが発生しています。

 拙速を尊ぶという考え方は仕事の世界では重要です。満点でなくても合格点を取ればいいというのは日常生活の奥義ともいえるものです。芸術の世界だとそうはいかない。いくら時間をかけても究極の作品を目指すべきなのかもしれない。しかし私は芸術家ではなく、私も仕事の受け手も完璧な仕事を求めているわけではありません。むしろ停滞することなく、仕事を続けることが求められている。

 在宅をしているとどうもそういう基本が分からなくなるようなのです。周囲の人の姿を見て仕事のやり様を調節している不断の方法が通用しないのが最大の要因です。これはぜひ改善し克服しなくてはならない。それも一人でやらなくてはならないのが困難ではあります。

春なのに

 なかなか朝夕の気温が上りませんが確実に季節は進行しつつあります。春になったというのに素直に喜べない状態が続いています。

 コロナウイルスの影響によって各種の産業が停止状態にあります。この先どうなってしまうのか心配です。春の様々なイベントもキャンセルされていますが、それが今後どのような影響を及ぼすのかはまったく予測不可能です。

 5月再開と言われてそれを目標にしてきましたがどうも怪しくなってきました。こうなったら次の対応を考えておかなくてはなりません。損失を獲得に変える手立てを考えるべきなのです。私はいまだ半分リモートワークなのですが、完全に自宅勤務になってもいいように準備を進めます。

 自宅勤務の大問題は気持ちの切り替えが難しいことです。それも工夫をしていくしかありません。やるべきことはたくさんあります。やりとげることで生活のバージョンアップをはかろうと考えています。

コワーキングスペース

 自宅の近くにコワーキングスペースというサービスが登場しました。リモートオフィスともいうべき貸職場スペースです。レンタルルームよりは安く、カフェのようにBGMで集中できないということもないのが売りのようです。

そのほかWi-Fiが完備しているほか、フリードリンク、コピー機の設置があり、追加の費用で個室の確保、私書箱設置なども可能だとか。もし起業するとしたらこういう場所から始めるのもいいのかと考えています。入会金が年間10000円、使用料はフルにつかうと月間10000円で、夜10時まで使用できるとか。ランニングコストを考えると事務所を借りるよりもいいのかも。もっとも自分の家でできればいいのですが、様々な誘惑やしがらみがありますからこういう商売が成り立つのでしょう。

 満員電車に乗らなくても仕事ができるのならばこれほどいいことはありません。あとはこういうところでもきちんと稼げる才覚を身に着けることです。

目標設定

 今年やるべきことの一つが目標設定からは始めるということです。いままでは降りかかってきた状況に対処することばかりをしていました。今年こそは目標を決めてから実行するという習慣をつけていこうと考えています。

 もちろんすべてを目標志向型にするつもりはありません。やっているうちに形を成してくることもたくさんあります。とくに創造的なことに関しては目標はない方がうまくいきます。ただ、私の仕事の大半は目標を実現していくことの方にある単純な仕事なのです。この方面には目標達成を意識できる方がいい。そのためにも業務の単純化をすすめたいと考えています。

 まずは授業をするためのノートづくりを変えていきます。これまでは教える内容を中心にしていましたが、これからは教える手段、方法を中心にメモしていきます。それが実際の授業では役に立つのですから。授業の目的は教えることではなく生徒に考えさせることだという目標を設定するとノートづくりも変わってくるのです。

 次に会議資料作成の方法も目的を明示したものにしていこうと思います。何をやるかを決める前に何を目標にするのかを提示すれば方向性も早く決まります。方向性が決まらずに迷走するよりも時間の効率が上がります。

 他にもいろいろとやるべきことがありますが、まずは身近なところから始めてみたいと思います。

長く続けるために

 かつては55歳が定年だった時代があります。それが60になり65になり、やがては70歳もしくは定年制度そのものがなくなるかもしれないとのこと。私たちはまだ走り続けなくてはなりません。

 定年延長とはつまり扶養家族にならないということです。社会保障の対象にならずに自立しなくてはなりません。それなりの収入が必要になります。高齢者が企業にどの程度貢献できるのか。あるいは若い世代への影響を考えるとキャリアの後半は低賃金になることも覚悟しなければならない。そういう考え方に早く適応しなくては立ち行かなくなりそうです。

 こうした事態においては自分のポジションを確保しておくこと、時代の流れに敏感であることなどいくつものクリアしなくてはならない条件があります。その中でも最も重要なのは健康でいることなのでしょう。長く走り続ける選手であるためには乗り越えなくてはならないハードルがたくさんあります。今回は義務表現を何回使ったことか。こうした状況を好機と考えることにしたいと思います。

贈答禁止の余波

職場で贈答品授受の禁止が通達されました。関電の事件が影響したもので、企業側から自主的に送られたものについても断り、返品することが求められるようになりました。

 趣旨自体はよいことであり、遵守すべきだと感じています。贈答のためのコストを商品そのものに反映させた方がよいのに決まっているからです。

 ただ、少しだけ困ったことがあります。毎年楽しみにしていたきれいな写真のカレンダーやちょっと重いけれども十分に使える企業名入りの手帳などもまた禁止されてしまったことです。旅行会社のものはかなり使いやすいものでしたので残念です。

 カレンダーや手帳についてはいわゆるバレットジャーナルを始めたためにほとんど必要がなくなり、カレンダーは百均にいいものがあることを知りました。当面は問題なく過ごせそうです。ただなくなるとちょっとさびしくなる。これからこういう感情を持つことが増えそうです。

時間の平面化

 手帳を更新する季節になりました。かつては歴史手帳を愛用し、その後産能の手帳を使うようになっていた私ですが、いまはただのリングノートと、ネット上のグーグルカレンダーとを利用しています。どのような形であれ、私がやろうとしているのは形なきものの可視化です。

 時間の流れを可視化するのは手帳の大きな役割といえます。実は切れ目なく流れていくだけの時間に切れ目を入れ、価値を見出していくのは人間の叡智です。それを実際に紙面に記号化していくのが手帳の役割といえます。

 丸印や矢印には時間に価値を与える意味が込められています。略図を付けたり色づけすることでその意味は一層顕著になります。複雑な現実を極力単純にするのが手帳の役割であり、その中で整理がなされる訳です。手帳をつける理由は時間の平面化という変換にあるわけです。

 ただ、手帳を書くという行為自体が時間の流れの中で行われるために、その行為自体がエントロピーの増大に晒されてしまう。単純化が目的だったことを忘れて次々につけたしを始めてしまうのです。手帳をつけることは常に時間軸から抜け出そうとする行為なのかもしれません。