タグ: 仕事

メモ帳で諦めることを避ける

 最近、ちょっとした記憶の保持力が低下している。対策として何か別の仕事を始める前にメモを残すようにし始めた。しかし、しばしばこれを忘れてしまう。習慣になるまでには積み重ねがいる。

 今やっていることを簡単にメモする。キーワードでも箇条書きでもいい。重要度は考えないで書く。これが衰えた短期記憶の補助になる。

 このメモは手書きがいい。だから私はすべての上着とカバンにペンとメモ帳を携帯することにした。いくつもメモ帳があるのは変だが、目的がかようなものであるから別に構わない。

 衰えた者にはそれなりの戦い方がある。もう少しやってみることにしたい。

風邪の崖の上

 これまで周囲の人が風邪などの不調を訴える中で、何事もなく過ごしてきた。しかして、どうも今回は怪しい。初期症状が出つつある。ただし、ここから巻き返した経験は数多い。ある意味大切な節目にある。

 今日はとても暖かった。地域によっては夏日になったらしい。師走半ばにして夏日とは酔狂にもほどがある。そして来週から一気に冷え込むのだという。健康体でも気温差に対応するのは大変だ。やはり、気候変動。起きているらしい。

 このおかしな天気に、狂いまくっている体感センサーをどうしたらいいのだろう。風邪の先触れを追い返すことができたらやらなくてはならないある仕事の山の登頂を敢行する。途中で怠惰の熊に襲われないように祈るばかりだ。

ホームページを作るなら ロリポップレンタルサーバー

取り扱い400種類以上のドメイン取得サービス─ムームードメイン─

【GOM Mix】初心者でも簡単な動画編集ソフト

WiMAX +5GをはじめるならBIGLOBE

癖をつける

 野球を始めた頃、グローブに自分の癖をつけることの大切さ説くコーチがいた。子どもにとってはこわいおじさんなので、言われることは絶対だった。確かに使い込むほどにエラーが減った気がするが、それがグローブのせいかどうかの証明はできない。

 どんなことでも自分なりの癖をつけることは効率化のためには必要だ。癖を習慣と置き換えれば、ルーチンワークのようなものかもしれない。大谷翔平選手も打席に入る前や、マウンドに上がる前の動作がある程度決まっている。同じ目的の動作をするときの行動ははたから見ると不思議なほど形式化しており、まるで儀式のようだ。

 やり方が変更され、なおかつそれを繰り返さなくてはならなくなったとき、つまり新しいルーチンワークが生まれたとき、この儀式を早く組み立てることが必要だ。これがたやすくない。はじめのうちは言葉に出して定着させよう。

 新入りの鉄道車掌が声を出し、指差しで安全点検をするのを見ると微笑ましくも頼もしくも思う。まずはあの方法を模倣しよう。

集中のために

 マルチタスクが苦手な私は職場のなかで少し隔絶した場所に活路を求めている。次々に起きる事態に対応できないから、しばらく別の場所に身を置くことでなんとかしようというわけである。

 少し前ならば協調性のない行動として自ら取らない選択肢であった。しかし、恐らく脳の機能的低下もあって、これまで以上に中断や作業停止に弱くなっている。一度やめたものを復帰するのに能力がかかるのである。

 だから、思い切って自席を離れて仕事することにした。言い訳の仕方もいろいろ考えた。だが、一度やってしまうとあいつはそういう人なのだ認識されて特に断りも要らない。そこでは作業に使うものだけを持っていき、それ以外はしないようにしている。

 これでもう少し仕事ができそうだ。なりふりをかまってはいられない。

機械化した分、面談に

 提出物をバーコードで管理することにした。完成しているプログラムをお借りし、試したところ使用に耐えることが分かった。少々カスタマイズが必要だが、これで数十分から一時間程度の業務時間短縮ができそうだ。

 浮いた時間で何をするか。それは個別面接の機会を増やすことだろう。私が業務を機械化したように、生徒も学習活動の一部もしくは大半をコンピューターで行っている。活用の仕方が間違っている場合は、思考の過程を飛ばして答えだけを書いてきてしまう。

 教員として心がけたいのは結果より過程ということだ。何をどう考えたのか、それをどのように説明するのかを指導しなくてはなるまい。テストやレポートの採点結果より、重視すべきなのは解答の作成過程である。

 ただそれを評価することは難しい。学習の場面に立ち合うことはできない。できたとしても学習者の妨害にしかなるまい。だから、次善の策として提出後に面談を行い。どのように学んだのか、学んだことは何かを自分の言葉で語らせるようにすればいい。

 いままでは業務時間内に事務的な仕事を終わらせるので精一杯で、面談にかけられる時間は限られていた。人間が不要な部分は思い切って機械化し、対人指導に注力しよう。生徒には煙たがれるが、今はそれがもっとも効果的な気がしている。

旧世代らしく

 あまりに多忙なときはやることが機械的になっている。予め決めた手順に従えはうまくいくことが多い。ただこれには達成感が伴わないのが問題だ。

 大量の作業を成し遂げたという達成感ならある。しかしこれならば自分でなくてもできたはずと考えると虚しさが漂い出す。機械の歯車になることを潔しとしない自我が立ち上がる。

 効率を上げることとやり甲斐を感じることとは必ずしも一致しない。仕事がどんなに早くてもああはなりたくないという同僚はいる。あれでは機械と同じだ。何が面白いのだろうなどと考えてしまう。

 恐らくこれは私の偏見だ。仕事が早く何も考えずに済ませられるのは現代人が求められている資質の一つではないか。そのコンピテンシーすら人工知能に売り渡そうとしている。その哀れさに気づかないことに我慢できるのは一種の才能だ。

 私のような旧型人間はこの効率重視の世の中でうまく立ち回るしかない。仕事の大切な要素を諦める代わりに、浮いた時間で思い切りアナログなことを展開しよう。アナログという言葉を想起した時点ですでに毒されている。無駄な時間をかけて話し合い、冗談を言い合おう。幸いまだそんなことをしていても排除されることはない。ならば思い切り旧世代らしく振る舞うしかあるまい。

殿戦

 ものごとの最後を完璧に終わらせるのは意外と難しい。どこかに失敗はつきものだ。殿(しんがり)は何かと傷が多い。

 私はそろそろ次の人生を模索したいと考えている。引退ではなく発展だとはどこかで聞いたフレーズだが、私もそうでありたい。まずは次なる収入の口を探すことが先決だが、同時に新生活への最適化を目指す必要もある。

 とりあえずは身体が動く限りは今の経験が活かせる職を探そう。コネクションも大切だが、自己開拓もしたい。そしてできれば起業が理想だ。そうはうまくいかないのは分かっているので、雇われの身となることに躊躇はない。

 殿の将としてはまずは名誉を守ること、そして次に生き残ることに全力を尽くすことだろう。何ごとにも呑気な私であるが、そろそろ大切な時期に入る。スリルを楽しむことにしよう。

仕事始め

 今日から仕事を再開する。年が変わっただけのことであるが、時間に区切りをつけて気分を変えるのは人類の叡智と考え、それにあやかることにしたい。

 やるべきことを書き出してから始めることにしようということは、昨年も途中までやっていた。いわゆるバレットジャーナル風ノートに書いていたのだがどうも続かなかったので、今年はスマホやタブレットのタスク管理アプリで行う。自分もこうしてデジタルの世界に取り込まれていくのだと実感している。

 毎年思うが今年も自己改革したいと考えている。挫折するまでは。

多動

 最近つくづく思うのは私はマルチタスクには向かないということだ。同時に複数のことをやろうとするとすべてが中途半端になってしまう。

 電子媒体を使い始めた頃からマルチタスクが求められるようになった。いろいろなことを並行して行うことが機械では簡単にできてしまう。それを操作するためには自分もそれぞれの仕事に関与しなくてはならない。

 そこでオーバフローが起きてしまう。どうしようもなくなって作業が止まる。もしくは不十分なものになる。

 多動に対応することにあきらめの気持ちが出ている。効率が悪いといわれても一つずつ片付けるしかない。

問題点は

 問題点を洗い出す方法を考えなくてはならない。毎日、漠然と過ごしている私には難しいことだ。ただ、限られた時間内でやり遂げるには抜かしてはならない。

 典型的な状況対応型の私にとって、PDCAのような考え方は理想というより憎むべき悪習だ。偶然と寄り道をなくして何がよいのかと思う。でも、やりたくないことを早く済ませるにはいい方法だ。この方法に関心を持つようになったのは、私の仕事が自分の本心から離れたことの証だ。

 効率的に何かをしていると豪語する人や、やたらと片付け好きな人をみると私は気の毒に感じる。それをやらなければならないと考え出しているのは自分もその状態にあるのだということなのだろう。