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かけないことの幸せ

 私は近眼でそれに老眼も加わっているから、眼鏡がなければ遠くは見えないし、眼鏡をかけると近くが見えない。実に不便である。近視の方はほぼ変わらないが、残念ながら老眼は少しずつ進行している。

 面倒なので眼鏡をかけずに過ごすこともある。1メートル先の風景はぼやけてよく分からない。特に人の表情は判別できない。だから、人のことを察して振る舞いを変えるということはできない。不便だが気楽でよい。余計な気遣いは要らなくなる。

 大切な情報を幾つも見逃すことにもなる。見えていたことが見えなくなることで、失うことは多い。無意識のうちに視覚から得ていた事実は捕捉できないものとなる。ただ、雑多な情報に振り回されることもなくなるとも言える。

 なるべく多くのものを見て、外界の変化を見落とさないようにするのは本能としてのあり方かもしれない。さらに昨今の情報至上主義の世相にあっては「視力」は必須、不可欠のもので私のような考え方は否定されるはずだ。

 でも、あまりにも多くを見ようとし、精神をすり減らすより、ときには見えない時間を作った方がいいのではないか。眼鏡を外すことによって私はあまりに生々しすぎる現実にフィルターをかけるのである。

威厳があった先人たち

 昔、大先輩とか先生とかいう人には風格があった。どうしても近づけないような威厳というものを感じた。それは必ずしも好人物というわけではなく、中には頑固で問題のある人格もあった。ただそれを否定しきるほどのことはできなかったと思う。

 私は気がつけば嘗てのそういった人たちより歳を重ねてしまった。だが、従前の威厳というものが全く身につかない。自分でも過小評価されているのではないかといじけてしまうほどの存在感だ。なぜ、そういう大切なものが身につかなかったのか。人生の厚みが足りないのはどうしてなのか。

 思うに、積んだ経験の質と量が足りていないのだろう。現代は物事が便利になり、なんでも検索し類型的なものの考えに染まっている。だから、風格を育てるだけの修練を積むことがないままに馬齢を重ねてしまうのだろう。

 私はいまさら先人のようになれるとは思わないが、せめて自分のやるべきことにもっと誇りをもって、できないことはできるようになる努力を続けたいと考えた。これは意外と大切なことなのかもしれない。






類型把握

 この話は前にも書いたことがある。でも、少し考えが変わったので書いておくことにする。私が物事を把握するとき、目前の対象をありのままに受け入れているとは言えない。むしろ初めて見るものは何が何だかわからない。

 そこで、それまで自分が経験したこととの照合がなされる。瞬時に行われるから私自身も普段はそのつもりはない。これは誰かに似ているとか、以前見た物の少し変形したものだとか考える。それを持っている言葉に置き換えてようやく把握できる。だから色やサイズ、形状の差異があってもイヌかネコかを区別できる。

 これは言語論の基本だが、この現象を一人の人間の時間的な変遷の中で捉え直すとどういうことになるのか。幼い頃は持っている言葉が少ないため照合できる目印が限られている。だから、本来分類した方がよさそうなものがまとめられていたり、その反対もある。成長とともに言葉を覚えるとともに、その言葉が持っている文化的伝統も身についてくる。すると、水と湯を区別したり、雨の降り方に様々な区別をし、虫や鳥の鳴き声にオノマトペを使うようになる。

 さらにその中で個人的な把握も加わる。過去に起きた印象的な出来事が文化的枠組みを超えて認知に影響を与える。それは言葉すら超越するような身体感覚として突然発生する。

 そのような様々な要素が複合して目の前の物事が認識されている。だから、同じものを見ても条件が変われば別物として感じられるのだろう。類型として把握することは変わらなくても、物差しとその使い方が刻々と変わる中で私は生きているのだ。

明治のあり方

 明治時代の人たちはさぞ大変だったと思う。維新後に様々な価値観が激変し、昨日までの正義が突然邪道となり、またその反対もよくあった。排斥していた西洋文化が規範となり、模倣の対象となる一方で、東洋的な価値観は後進的とみなされた。

 それでもやはりいざとなると儒教的な価値観が支えとなっていたようであるし、漢文の素養が精神的な基盤にもなっていた。毀誉褒貶が状況ごとに変わり、その都度うまく立ち回ることが求められた。それが明治のあり方だったのかもしれない。

 渋沢栄一の「論語と算盤」を読むとその立ち回りの大切さを感じる。精神論と功利主義のバランスをいかに取るのかが大事だった。ただ結果として、明治は国益を重視したあまり戦争へと邁進する。

 現代の我々も価値観が急激に移り変わる時代にあり、さらに科学技術の発展により心身ともに振り回されている。毎日振り回されているから、それほど感じないが、おそらく俯瞰すれば翻弄されている己が見えるはずだ。その意味で明治の人々の生き様から学ぶことは多い。

渋谷区民だったころ

 父親の仕事の関係で渋谷区民だったことがある。最寄り駅は原宿と表参道だ。すぐ近くにある表参道はいまよりずっと静かで落ち着いていた。そこを歩道橋で渡って学校に通っていた。

 表参道が静かだったのはデザイナーズブランドの店が並んでいたからで、高価すぎる服をウインドウショッピングする人が大半だった。同潤会アパートもその原因の一つだった。その静かさを突然破るのが暴走族と呼ばれた輩で、エンジンだけではなく、変なメロディのあるクラクションで周囲を驚かせていた。

 原宿の近くに人なんか住んでいるのかとよく言われたが大通りを外れると細い道の住宅街が広がっていて、ちり紙交換のトラックや、チャルメラを吹いて豆腐を売りに来る自転車が通っていた。野菜や果物の移動販売は物価が高めのこの地域では住民に人気があった。

 その後、歩行者天国が始まり、いわゆる竹の子族とか一世風靡とか色々な人たちが来るようになって、さらにタレントのグッズを売る店ができると大衆化が一気に進み、毎日縁日のような街になった。地方から来た中学生らしき男女のグループの一人に松田聖子の店はどこかと問われたことがある。地元民として場所は知っていたが、入ったことはなかった。人気があったのはとんねるず、丹波哲郎の大霊界、悪役商会などだったがついにどこにも入らなかった。

 バブル景気が始まると小学校の同級生たちが転居して散り散りになった。いわゆる地上げのために嫌がらせを受けたというような噂がかなりの信憑性とともに語られた。

 公務員住宅に破格の家賃で住んでいた私たちにとって、そういう経済学上の問題は距離を置くことができた。収入の低い家族にとって、いかに金をかけずに楽しむかは自然に身についたスキルとなった。

 表参道や代々木公園にいけば見世物はいくらでもあり、こどもの私にとってはキデイランドで模型を見るのは楽しみだった。買えるのは年に数回で、それは申し訳なかった。金を使わずに楽しむという考え方はその時代に形成された。なんでそれを続けなかったのだろう。

 渋谷区民時代を思い出すといくらでも話ができる。都心に住みながらも、結構質素な暮らしをしていたあの時代こそ、私の核となる人間形成の時期であった。バブル景気にも狼狽えず、様々な環境の激変にも耐えられたのはこの頃の蓄積ゆえだ。

 自分で小金を稼ぎそこそこの生活をするようになってこの精神は挫けてしまった。数百円の節約のために駆けずり回ったあの時代の精神が再現できれば人生はもっと豊かになるはずだと信じている。

引き潮の周波数

 引き潮の奏でる永遠のような周波数の波が何かを急かしている。私はその気配を感じることすらだんだんできなくなっている。かつては胸踊る場面でさえも色褪せたものにしか映らないことがある。

 このまま、引いてゆく海の音に溶け込んでいけばいいのだろうか。波の音をかき消すような叫びをあげれば何かが変わるのだろうか。

 よくわからないままに結局毎日を過ごしている。それで精一杯だから、それでいいのだ。そう思い聞かせて思考停止の状態にしている。

冗長を厭わず、嫌悪を嫌わず

 冗長を嫌わず、とにかく思うことを綴ること。それが私の最近の方針である。どうも昔のように整理してから発信するという芸当ができなくなってきた。昔はそういう無駄なことをする輩を嫌ってきた。しかし、今はそういういう余裕がないことに直面している。若い人にはひそかに聞いてほしいことである。

 科学的ではないが、加齢の弊害の一つに短期記憶の低下というものがある。昔は何ともなかった記憶のポケットがとても小さくなってくることを痛感する。これは少しずつ着実に進むから具合が悪い。行ってみれば短期間の記憶喪失が頻発するということなのだ。これは脳科学者ならば適切な説明ができるはずだ。

 とても残念なことにこの現象は多岐にたわって様々な問題を起こす。私たちの生活の大半は短期記憶に支えられており、それで人生の大半を乗り切っている。その最も基本的な能力を奪われてしまうと、打つ手はなくなっていくのだ。

 そんなことは例えば特殊な病に侵された人だけの話だと思う若者は多いだろう。私もそうだった。残念ながらこれはほぼすべての人が味わう老化現象なのだ。このことを伝えなくてはならない。言いたいことは本人の意思に関わらず、加齢により脳の老化は確実に起こり、その一つに短期記憶の低下があるということだ。私自身が大変悔しく感じていることの一つだが、これはどうしようもない。

 前置きが非常に長くなったが、短期記憶衰退のわかりやすい現象の一つとして話の冗長性がある。さっき同じ話をしただろうと聞き手は思うかもしれない。しかし、高齢の話し手はすでにさっき話したことは忘れているのだ。そのことを若い世代は理解できないかもしれない。単に耳が痛い話を永遠に繰り返す嫌味な奴だと思うかもしれない。

 高齢の助言者は無視していいのか。少なくてもこの国で生きていく以上は先輩の発言は無視しえない。科学的根拠は劣ることがあっても、経験的な正当性は高く。それを参考にしない手はない。先輩はやはり立てるべきなのだ。ただ。盲従する必要はない。皆さんが手本としている先輩は日本の歴史という尺度で考えれば、ごく最近の学習者に過ぎない。そこから役に立つすべての情報を引き出せるはずがない。

 その上で言いたい。あなたの近くにいる目標とすべき先輩の存在が無意味なのかといえば、それは違うといいたい。人生は思った通りには全くいかない。様々な条件がそろっていてもうまくいくとは限らない。私たちの人生が偶然に満ちたものであることは過去の歴史から容易に推測できる。

死という言葉の意味

 タレントがソーシャルメディアで不用意に使った死という言葉が話題になっている。他人に死を促すこと、しかも公然とそれを発言することにどんな意味があるのかを再考させられる。

 言霊を信じていた時代、死ねということは一種の呪いであった。和歌を読むと死ぬほど愛しているといった恋愛の表現はあるが、本当の人の死は婉曲的に表現されている。それほど気を使う言葉だった。

 それがいま、人に平気で死ねという人がいる。それだけ言葉の価値が暴落してしまったということなのだろう。誰かに死ねということは、自分の存在が社会に不適合の状態にあることを漏らすようなものだ。そう言わなければいかんともしがたい現実が立ちはだかっているのだ。

 死という言葉の意味を考え直したい。身近に亡くなつた人が増え、さらに自分自身もその候補にカウントされる年齢になると、死という言葉の重みはかなり変わって感じられるのである。

まだ降りたことがない駅に行き

 東京や神奈川を走る電車は相互乗り入れをしているものが多い。中にはかなり長い運行距離を持つものもあり、うっかり乗り過ごすと悲惨である。

 車内に掲示される路線図もかなり広範なものとなっていることもある。どこまで続くのだろうと思う。そういう路線図を見るといろいろな妄想が浮かんでしまう。

 気まぐれでまだ乗ったことがない路線に乗車して、名前すら知らなかった駅で降りたら何が始まるだろう。もしかしたら世界観が一変するような出来事が起きるのではないか。あるいはそこには誰もおらず次の電車来るまでには恐ろしく長い時間があって途方に暮れるのではないだろうか、などと。

 実際にはそんなことはあるまいし、試してみる勇気もない。ただ、身近にある冒険の旅をいつかはしてみたいという思いだけは募るのだ。

自分のいない世界を見渡して

 自分がいない世界のことを考えたことがあるだろうか。思考の原点である自分がいない世界というのは現実的ではない。たとえその場面に自分がいなくても、それを考えている自分は確かに存在するはずだからだ。

 でも敢えて別宇宙かそんなものがあって、そこに自分を退避したとして、自分のいない世界をみられたとしたらどうだろう。それがかつて関わりがあったがいまは関係がなくなったとしたならばどうだろう。きっとそれは恐ろしく寂しく切ないものをもたらすに相違ない。

 自分がかつて生きていた世界に、自分はすでになく、そこに存在していたことすら誰も覚えていない。自分なしに日常生活は営まわれ、そこに何の問題もない。本当に自分はかつてその世界にいたのだろうかと疑わしくなる。別世界からの観察を続ける勇気は潰えるかもしれない。

 それでも何らかの事情で懐かしい世界を見続けなくてはならないとしたならばそれはかなり辛いことになる。しばらくしたらこう考えるかもしれない。結局、自分の存在などどれほどの価値があったのだろうかと。これは苦しい結論である。

 ただ、さらに時が経てばこう考えるかもしれない。自分の存在は小さなものであり、自分がいなくなっても世界はびくともしない。ならばやりたいことをやればいいのではと。そういう段階に達する時が遠い未来に来る。

 別世界に移動した私にもその世界で生きていかなくはならない。それがどんなに幸福なものでも、あるいは過酷なものでも、その中でなんとか生きていく必要がある。そのときに元の世界を見て得たことを活かすべきなのだ。