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振替輸送

 年に数回ではあるが鉄道の事故などの影響で振替輸送を使うことがある。遠回りすれば別の路線でも辿り着ける所に職場があるので、最終手段として利用するのだ。

 普段乗らない路線を通勤時間に利用するのはちょっとした覚悟のようなものが要る。どのように利用すればよいのかという情報がないからだ。もちろん、振替輸送のときは大抵改札はフリーパスになる。ただ、何号車のどの位置に乗るべきなのか、改札に近いのはどこかなどといった詳細な情報が足りないのだ。振替輸送で平常より混雑した車内において、こうしたことは大切なのだ。

 逆に言えば普段使っている路線に関して、様々な注意をしながら乗車しているということなのだ。混雑が少しでも少なく、下車時に苦労しない場所を日々の経験によって習得しているということなのだろう。振替輸送は非日常の世界を感じさせてくれるきっかけだ。利用する機会がない方が良いのは決まっているのだが。

原付は125まで

 知らない間に、正確には私がぼおっとしている間に原付の規定が変わっていた。原付は125ccまでだそうだ。かつての50㏄からすれば倍以上だ。もっとも出力制限があり、2人乗り禁止、最高時速30キロの制限は変わらない。

 原付は免許を取るときに一度乗っただけで、実は経験値がない。ただ風を切って走れる自転車よりも楽で速い乗り物には魅力を感じてきた。恐らく地方都市に住み続けていたら買っていたかもしれない。

 今となっては自動車と同じ道を走ることに恐怖を感じてしまう。もう少し若い頃ならばなどと様々な言い訳を考える。いつか乗る機会はあるのだろうか。

鉄道網の上に立つ首都圏

 毎日利用している電車が事故のため一日中止まった。人為的ミスとシステム上の問題点が重なったようである。怪我人は出なかったというのが幸いだが、おかげで首都圏でも有数の混雑路線が使えなくなった。

 振替乗車をして職場へは遅刻することなく到着できた。首都圏は都心部から郊外へと走る路線が数多く存在するので、迂回ができるのだ。それらをつなぐ路線が大切であると実感した。

 鉄道網が東京圏を支えているのは明らかだが、今回のような事故があって始めて実感できる。今回は一つの会社の2路線のみの障害だったが、同時多発したときどう振る舞うのかを考えておかなくてはならない。

自転車運転にも反則金が

 自転車での走行において反則金が決まった。来年の4月から施行されるという。身近な乗り物である自転車が車両として扱われることはこれまでも知られていたが、罰則が適用されるとなると意味づけが変わる。処罰の運用には実態にあった方法で実施してほしい。

 自転車による事故は多いらしい。死傷者を出すケースもあるらしく問題視されてきた。特に歩道を走る自転車が歩行者もしくは他の自転車と衝突する事故は危険である。今回の罰則には歩道の走行という項目がある。

ただ、自転車専用の道路があるのは非常に限られた地域であり、大半は車道を走行する。車道の多くは路肩が傾斜していたり、工事などで路面の状態が不規則なところが多い。さらには路上駐車している自動車があれば、それを追い越すために大きく内側に入り込む。かなり危険な要素が揃っている。

今回の法改正では、歩道の走行に関しては運転者の年齢や道路の状況を加味して取り締まるというコメントが出ている。自転車の運転者に意識改革を促す点は評価できるが、同時に自転車に適した道路の設計、街づくりについても考えていただきたい。

時刻表どおりホームに着いても乗れない

 時刻表通りにホームについても電車に乗れないことがある。最近は秒単位で時刻合わせをする時計やスマホを時計代わりにしている人が多いので、これはおかしいと思う人が多いだろう。

 ただ鉄道会社の多くは発車時刻を電車の動き出す時間としており、ベルや閉扉はその前に終わっていることが多い。だから、00秒にホームに着いても乗れない可能性があるし、文句も言えないことになる。

 遅れることにはとやかく言うが、時刻表通りでも不満を漏らす人はいる。まずは時刻表より数分前にホームに立つていなければ電車には乗れないと再認識しておこう。

ヘルメット

 自転車に乗る際のヘルメットが義務化されている。ただ、現状ではヘルメット未着用の人が多い。

 この件については努力義務と言う扱いで法的な拘束力が弱い。義務化という言葉との落差がある。注意はされるが罰はないということだ。

 さらに品薄も原因という。自転車店の中には在庫切れで予約待ちだという。通販には格安のものがあるが果して安全性は保てているのか。

 ヘルメット着用による事故発生時の被害の軽減については証拠があるという。気軽に利用できるような仕組みが必要だ。

自動運転

安全な道でありたい

 高齢者による運転ミスの問題は今後ますます増えていくはずだ。私自身の問題としてもやはり、いざというときの脳の瞬発力が残念ながら減退していることを感じることがある。高齢化社会にあってこれは宿命であり、まさに焦眉の急の課題だ。

 自動運転の技術は我が国においては国家的な事業とすべきだろう。完全な自動運転は難しい段階でも、あきらかなアクセルとブレーキの踏み違えがおきたときに対処する制御システムを先行開発し、実装すべきだろう。オールインワンよりも実態にあったものを先にというのはこの場面でも言える。

 例えば駐車場での車の誘導の自動化は設備投資的にも実現しやすいものだろう。コンビニの駐車場に入ったら、あとは自動で駐車スペースに停められる。公道に出ると自動が切れるというのはいまの技術でも可能なように思える。

 逆走を知らせる警報の設置もできるはずだ。GPSの精度はわからないが、道路脇に物理的な誘導装置を設置しておけば解決できそうだ。

 恐らく素人のわたしがこんな戯言を言う前に技術者のみなさんはもっといい考えを持っているはずだろう。それがなぜ実現できていないのかを問題とすべきだ。高齢化社会のなかでどのように安全を保つべきなのかを真剣に考える必要がある。期限はすぐに来る。後回しはできない。

ローカルバスこそ位置情報を

 先日、茨城県の路線バスに乗る機会がありました。駅前からの乗客は私を含めて2名だけでした。私の降車する一つ手前の停留所で一人乗りこみましたが、私とともに駅から同乗した一人も降りましたので、客は一人だけになってしまいました。こんな光景はどこにでもあるのでしょう。でもいかにももったいない。いわゆるロケーションシステムを普及させればもっと利用者は増えるのではないでしょうか。

 地域社会にとってバスは欠かせない交通手段なのですが、いかんせん本数が少なくいつ来るのかもわからない不安感があります。私の乗ったバスも一時間に1本の割合で朝と夕方を走るだけであとはなし。乗りたいときに乗れないのです。公共交通機関がおぼつかない地域では自家用車の利用者が多いのですが、その理由の一つがバスは当てにならないということにあります。ただ、今後急速に進む高齢化社会の中で自家用車を使えない世帯も増えてくることは確かです。やはり公共交通機関は地方社会の不可欠な生活の軸であることには変わりありません。

 バスをもっと利用しやすくするためにも今バスがどこを走っているのかが分かりやすく示される必要があります。すでにいくつかのバス会社がバスロケーションシステムを導入していますが、利用者の多い都市部での提供が大半であり、地方路線ではほとんど活用されていません。私はむしろ他に交通機関がない地域こそこのシステムを導入し、積極的に利用者を増やしていくべきだと考えます。こうした地域には高齢者が多く住んでいますが、彼らにも使いやすいシステムを考えるべきです。スマートフォンで情報提供すればいいというのは高齢者を考慮に入れていません。もっと分かりやすいインターフェースを考える必要があります。

 自宅のテレビにバスの位置を映し出すシステムは容易に実現できそうです。地域のCATVなどでは実現可能でしょう。そのほかにも何か方法があるかもしれません。また町の掲示板にバスの位置を簡易に示す情報を作ることも検討する価値があります。こういうのはいくらでも方法があるはずです。コスト面の問題もありますが、広告収入などの活用で運用する方法も考えるべきです。

 そしてやがてはバス利用の予約をすれば路線の中で発車時間を融通してくれるシステムも可能かもしれません。その際にAIが活用されるかもしれませんし方法は何でもいい。地域の動脈を生きたものにすれば首都圏などへの一極集中を避けることができるし地方経済の発展にもつながります。その一歩としてほとんど来ないしどこにいるの変わらないバスを、使える交通機関に変えていくことを提案します。

改札はなくなるのか

 JR東日本は現在のようにSUICAなどのICカード型乗車券を認識するための方法をタッチ式ではなく、通過するだけで認識する方法を開発しているそうです。いちいちカードやフェリカを鞄から出さなくても通過するだけで認識できる方法になるとか。最終的には改札はなくなる可能性すらありそうです。

 かつて改札と言えば駅員が鋏を入れてくれる場所でした。常に鋏の音を響かせているのは昔の駅の当たり前の風景であり、切符に入れられる鋏の切り跡は駅によって形が違いました。その後スタンプになり、今のような無人改札になったわけですが、昔を知らない若者にはおそらく想像がつかない風景でしょう。

 JR東日本が進めるさらなる展開は、人口減少による人手不足や人件費削減策としておそらくすぐに広まっていくでしょう。すると改札は通過するゾーンというだけになりそうです。顔認識システムなどが組み合わされて無賃乗車は「指名手配」される時代がくるのかもしれません。