渋谷に住んでいたころの思い出は数々あるが、懐古の波が起きると止まらなくなることがある。思い出したときに書いておこう。
高校生の頃だったか、今はなき東急プラザの屋上にちょっとしたステージがあって、ときにはタレントやアイドルのショーがあった。友人と訪れたのは河合奈保子のプロモーションであった。その頃の彼女はデビューしたての新人歌手だった。レコードのいわば手売りのイベントで持ち歌もシングルの両面のみ、いかにもプロの作詞家と作曲家がアイドルのために作ったという感じのコケティシュな曲だった。後に彼女自身がかなり完成度の高い作曲をするとは、そのときは思えなかった。
彼女にものすごく熱を入れていた友人は、いろんな情報を持っていて、いろいろと説明してくれた。彼はいたって真面目でピアノ演奏が得意な控えめな性格の持ち主だったので、アイドルへの執着は不思議だった。彼のおかげで売れる前のアイドルの姿を見られたのは幸いであったのかもしれない。
昭和のアイドルたちはいまより過酷な条件でステージに立っていたようだ。一人もしくは数人の単位で営業していた当時は個人の能力や才能、資質に多く依存していた。そのキャラクターが前面に出ることから、個人的な批判に晒されることも多く、中にはステージ上の仮面と真の自分とのバランスを保てなくなってしまった人もいた。
過酷な世界に咲いていたあだ花と見る向きもあるが、過去の思い出の一つとして記憶されていることを思えば、時間の流れの中に確かに結実したのかもしれない。