戦争体験を語れない

 あすは終戦記念日である。戦後80年ということは、高齢者の中にも戦争を知らない世代がたくさんいらっしゃるということである。亡父は終戦時小学6年であったので、戦争の記憶は残っていたようだが、かろうじて記憶が残るのはやはり5~6歳になってからであろう。だから直接戦争の体験を語れる世代は90代に近いことになる。

 ニュースによると最新のVR技術を使って、戦争の一場面を疑似体験できる施設があるそうである。戦場の中や、爆弾の投下された町の悲惨な様子を映像や音声とともに体験できるそうだ。それを直接見たわけではないので評することはできないが、やはり生死の際に直面している場面と、仮想現実とでは全く異なるのだろう。それでも疑似的に戦闘するゲームよりははるかに有益であろう。

 私自身も戦争は資料の向こうの世界であり、本当のことは何も分かっていない。多くの戦争を扱った文学や映画などに接するとそのたびにその恐怖や、戦争を起こした者への憤りを感じるが、それも長続きしない。最近の政治家は私よりも若い世代も増えているが、彼らの中には兵器を自国の防衛のために増やすべきだとか、原爆を所有することが国防上は安上がりだなどといってその虚偽をまき散らかす者がある。本当に分かっていないのかもしれない。彼らは自分が戦場に行くことを全く想定していないのだから。

 戦争体験を語れないことは今後この国の行く末をかなり危ういものにするはずだ。この国を亡ぼすのは他国ではなく、自分たち自身なのかもしれないなどと考えてしまう。

戦争体験を語れない” への1件のフィードバック

  1. 昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したというのに、日本の政治家としてあんまりの意見だと思います。

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