ピークは過ぎても

 こんなこともできないのか。そういう叱責は幾度も受けてきた。できることのピークは人生のどこかにある。いまはやりたくてもできない。ただそれを認めたくないこら、無理をして結局敗北する。そんな悔しさを積み重ねた私のいま思うことを書いておこう。

 数年前、草野球に駆り出されて、自分の投げた球があまりにも相手の手前に落ちたことを嘆かしく思った。自分が思う身体能力と実際のそれとがはるかに乖離していると実感したのだ。小学生の時にソフトボールクラブに無理やり入れられて、外野手で、四番だった栄光がちらりと浮かぶが、体力の衰えはあまりに正直だ。

 ランニングでもそうだ。4、5年前までは何とか走れた。十数キロのジョギングを楽しむことができた。ほとんど何も装備せずにただ走るのが楽しみだった。それが時々膝に水が溜まることを言い訳にしてやめてしまった。いまは恐らく数キロでさえ走れない。やりたいと思っても、もしも故障したらという気持ちがまさってしまう。

 ピークは過ぎてもやれることは残っているのだろうか。むやみに走るのはいまのところやめておいた方がよさそうだ。変わりに何ができるだろう。例えば清掃ランニングはどうだろう。ジョギングコースに落ちているゴミを拾って持って帰る。ゴミがあるたびに休憩できるし、幾分かの社会貢献の気持ちも持てる。速く長く走れないならばこういうふうにシフトしてもいいのかもしれない。

 この歳になれば他人よりいい成績を求めるよりも、自分で満足できる何かをした方がいい。殆ど役には立たない状況でいまできる何かを探した方がよさそうだ。正直言っていまはかなり落ち込んでいる。やけくそになっているとも言える。ならば、その放埒を社会的にマイナスの方面に行かないように意識するのが肝要だろう。

 出し殻にもまだ使い道がある。そう思いたい。

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