情報に騙されやすい傾向があるという報道があった。日本人がアメリカや韓国の人々と比較してメディアに対する不信感が低いという調査結果である。
高度情報化社会という言葉はすでに陳腐となり、使う人も少ないが情報が社会を動かす中心にあることは紛れもない事実だ。ただ、その情報には良し悪しがある。良い情報は生活を豊かになしうるが、悪い情報は日常を破壊する。そしてその区別は極めて困難であり、全く同じ顔をしているから都合が悪い。
アメリカの人々が情報への懐疑性が高いのは常に偽情報にさらされている自覚があるからだろう。単純な詐欺情報だけではなく人工知能を駆使した巧妙なものもかなりの頻度で現れている。大統領候補者のディープフェイクで、イメージダウンを謀る方法などいまは専門家でなくても可能だという。情報には嘘があって当たり前という現実に晒されていれば考え方は変わっていく。
日本でもその状況は全く変わらない。やはり偽情報は横溢しているし、そこには悪意も堆積している。それを見抜くこと、あるいはやり過ごすことにかけてまだ慣れていないということなのだろう。
情報を受け入れるときには必ず異説の存在を確認する。嘘の情報なのかをその情報源に遡って考え過信しないという余裕が求められている。
私のブログはその意味では信じるに足りない。ただ、自分の意見以外を示すときは出典をリンクするようにはしたい。自らのメディアリテラシーを保つためにも。