興味深い記事を読んだ。他者を救済する人の割合をランキングすると日本は他国を引き離して最下位となるのだそうだ。調査項目には寄付をしたり、ボランティア活動歴、知らない人を助けた経験、支援団体の数などがあるが、そのどれもが世界の水準からかけなれて低いらしい。
日本に住む私の実感として、この調査の結果は大いに疑問がある。確かに東京に住んでいると他人に対する配慮が少ない人を多く見かける。中には相当わがままな人もいる。しかし、世界最下位になるほどの状況には見えない。秩序正しいので、満員電車の中でもめったにトラブルは起きないし、ゴミを捨てて迷惑な人も少ない。であるにもかかわらずなぜこのような結果なのだろうか。
思うに伝統的な日本の価値観にウチとヨソの枠組みがあることがその原因のひとつだろう。自分と同じ集団に所属していると意識する相手に対しては過剰なほど気を使うが、そうでない相手は無視しようとする。その枠組みがたとえば人種とか宗教とかそういうものではなく、きわめて個人的な感情に基づくので他人から分かりにくくなっている。
それを日本人の特徴と考えればそれでいいし、何も他国のそれと合わせる必要もないかもしれない。ただ、社会がグローバル化するなかでこうした小さな集団主義は不利益の面ばかりが目立ち始めている。自分の集団だけで生活が完結できる間はそれでよいが、もうどうしてもそうはいかない。集団の枠を広げていってもそれでも追いつかない。もはやヨソ人と関わらなくては何もできない。
ヨソ人に関心を持つことの延長上にボランティア活動や寄付行為などがあるのかもしれない。世界はつながっていて統一のルールのようなものがあるというのは一神教の世界では大前提にある考え方だろう。日本にはそういう考え方はない。似たようなものとしてお天道様があるが、規範性は薄い。だから、かかわりのないものへの関心が薄いのかもしれない。世界はつながっていて、他者を救済することは世界を救うことになるという考えは、日本人にとってはかなりの学習を必要とする考え方のようである。
経済的な衰退傾向も自分たちさえよければいいという考えを転換すれば好転するかもしれないと考えている。寄付でなくてもいい、他者のために金を使うのだ問う思いが資産家にあれば、世の中はよくなっていく可能性がある。人助けは自分を助けることでもある。情けは人の為ならずとはよく言ったものだ。「冷たい」日本人がこれから何をするべきなのか。実はその行動にこの国の命運がかかっている気がする。
