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震災の次の日

 震災の日の驚きはいまでも時々思い出す。ただその日は事態に対応するだけで精一杯だった。その時点ではスマートフォンを持っていなかった私は緊急地震速報なるものを同僚の機器から耳にした。その日にはそれが何度も響き、その後も定期的に行くことになった。

 でも、事態の深刻さを知ったのは翌日からだった。衝撃的な津波の映像、福島の原発の爆発、放射能被害の切迫した報道、すべてが未知だった。電力の供給が止まるかも知れないとか、その後の計画停電とか知らなかった言葉が次々に横溢した。世界が大きく変わり、不可逆の別次元に入ってしまった感があった。

 これは一面、いまでも継続する真実だ。諸行無常を知識ではなく経験で痛感したのだから。恐らく日本で暮らす人々の価値観が大きく変わった気がする。ただその信念でさえ無常の掟から逸脱することはできない。電力需要の困難に直面し、原子力発電の功罪を痛感したのにも関わらず、人工知能を駆動する大量の電力を消費し続けている。電気自動車は環境によいと信じている人も多い。

 震災の次の日の呆然とした気持ちと、それを乗り越えようと決意したときの思いをもう一度取り戻すことには意味がありそうだ。

12年目

 東日本大震災から12年が経過した。12年も経つとかなり記憶が曖昧になっている。それは経年の習いでもあるし、災禍を忘れ去ろうとする本能も関係している。でも忘れてはならないことである。

 いわゆる被災地ではない場所に住んでいる私にとってもこの震災は大きなものだった。ちなみに私が住む市内でもこの災害による死者は出ている。しかし、建造物の倒壊は軽微であり、ライフラインも何とか保たれた。福島第1原発の事故による放射能漏洩の恐れが連日報道され、過敏な人は国外に去った。しかし、多くの市民はなにもできず、出資を控えた企業の影響で、公共広告機構ACの啓蒙的なビデオが繰り返し流れたことを覚えている。

 地震発生の日は職場から帰れず、翌日からは途中駅までしか鉄道が動かなくなった。それでもパニックも起きず、食料の供給も途絶えなかった。私は当時からブログを毎日書いていたが、そのころの書いた記事を時々読み返している。焦りや怒り、そして根拠は薄いが希望を持つべきだというメッセージを書き連ねていた。

 12年経ってその後に起きた他地域での地震や、景気の悪化、政権交代、そして近年のパンデミックなどで震災の印象はかなり薄くなってしまった。しかし、南海トラフ地震の可能性は依然として高く、壊滅的な被害がでるとの予測もある。いざというときに何をすべきなのかをもう一度考えたい。

 震災から12年。もしあの時、自分が被災していたらと思うと複雑だ。その日の被害者が12年後に何をしている可能性があったのか。それを思うとその人の可能性が失われたことに大きな悲しみを感じる。そしてその代わりに生きているおのれのことをもう一度考えなくてはならないとつくづく思うのである。