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中国語は構わない

 中国政府による日本への渡航自粛要請が出て、観光地では変化が起きているという。中国からの団体客が来なくなったために観光客は減少したらしいが、今のところ他の国からの観光客も多く、インバウンド頼みだった観光業が日本人向けの料金設定に戻したことから、かえって旅行客が増えたところもあるという。ただし、こういう報道は偏向が強く働くものであるから事実は分からない。

 中には日本で中国語を話すのは危険だというデマが流れているようだが、日本では話す言語による差別はない。マナー違反は不快に思うが、何語で会話しようと構わない。台湾の人がわざわざ自分は台湾人だというバッジを用意しているというニュースもあったが不要である。郷に行っては郷に従えの思いがあるのなら何の問題もない。事実私の住む街では普通に中国語で話す人はおり、彼らに特別な視線を送る人はいない。

 日本には中国文化に対する敬意が根本にある。漢字は子供の頃から繰り返し学ぶ文字だが、それを今でも「漢」字と言う名で呼んでいる。一流大学に合格するためには中国の古典文学を理解する能力が不可欠だ。かなり日本化されてはいるが、いわゆる中華料理を月に一度も食べない日本人は少ない。

 もっともそれは中国だけではない。若い世代は毎日いわゆるK-Popに熱狂しているし、韓国料理もキムチだけではなく様々なものが気軽に食されている。欧米の料理は言うまでもない。服飾も世界各地から輸入され、程度の差こそあれ、普通に着用されているのだ。エンタメの世界ではまさに多国籍な展開が見られる。日本はハイブリッドが得意というより、伝統的にそうして発展してきた。自国のものが唯一絶対と考えた期間は歴史上ほとんどない。むしろ自国にはない要素を歓迎して摂取していく傾向がある。

 グローバル化と言う名のデフォルト勢力の価値観の押し付けにはさすがに抵抗感がある人も多い。それも例えばインターネットの世界におけるプラットフォームが他国本位に推移していることに慣れきって、麻痺しつつある。大切なのはどの国とも付き合いよいものは取り入れ、自分なりに合うようにアレンジしていくことなのだ。ネットの世界ではその和風化が上手くできないところに焦燥がある。

 今回のように政治的な要因で旅行客が増減しても日本文化の本質は変わらない。置かれた条件においてほどよくアレンジしていくのがこの国のあり方なのだから。だから恐らくこの文書を中国人が読むことはほとんどないだろうが、偶然読んでいただけたなら申し上げたい。日本旅行を希望されるならいらっしゃっていただきたい。そこに差別はないと。

観光とは何か、大学共通テストから

 共通テストの現代文の問題にも時代の影響が現れる。今年は観光とは何かという内容の文章が評論文として出題された。背景には昨今のオーバーツーリズムなどの社会問題がある。

 文章の内容に便乗して考えると、これまで日本人は外国に観光に行く側であり、旅の恥はかき捨ての乱行もあったはずだ。比較的礼儀正しいの言われる日本人観光客も、現地の人がどのように捉えていたのかは分からない。

 今、逆に多くの外国人を迎える側になって、一部の観光客のマナーの悪さを非難する論調を散見する。中には露骨に外国人の入店を拒む店もあるらしい。各店の定める基準に口を挟むつもりはない。ただ、外国人客をうまく取り込まなければ経営が成り立たなくなる業界もあるのは事実だろう。

 観光とは何かを考える今年の問題文はその意味で非常に今日的であり、考えて行かなくてはならない問題である。受験生にそのメッセージは伝わったのだろうか。

青春18きっぷが変わる

 青春18きっぷはかつて一日有効の5枚つづりの回数券で、普通電車なら何度でも乗れるというありがたいものだった。学生時代はこれを使って旅をしたこともある。期間内ならばいつでも使えたので、夏に二回の旅をしたこともあった。とにかく時間がかかったが、今のように時間的な制約がなかった学生時代にはありがたいものだった。

 今年の冬期切符からは制度が変わり、連続する3日、もしくは5日間だけ使えるようになり、分割ができなくなるらしい。その期間に使い切らなければならないとなるとかなり用途は絞られてしまう。自動改札を通過できるようになったので、乗り換えのときの手間はかなり減るが、それよりも使い勝手が悪くなることの方が大きく、改悪と考える人が多い。

 青春18とは面白い命名だが実は利用者の多くは元青春の世代であり、リタイア世代も利用する人が多いらしい。私も連続する5日が自由に使える日が来たら普通電車の旅に出てみたいとも思う。逆に言えばそういう人でなければ使いにくい。奇数の切符だから3角形、もしくは5角形の旅をすることになる。そういうことをいちいち考えられるのが青春ということなのだろう。

もてなししたくても

Welcome to Japan. Your choice is good.
But, just moment, please.

 外国人受け入れに舵を切り、なおかつ歴史的な円安にあって、観光業は活気づくはずなのだが、どうも簡単には行かないようだ。もてなししたくてもできない事情がある。

 コロナ騒ぎの中にあって国内の観光業はかなり疲弊してしまった。人員削減や店舗の閉鎖などを行い延命しているのが現状だ。そこに外国人が戻ってきてももはやそれを受け入れる受け皿がないのだ。

 観光客の本格的に戻ってくる前に少しずつ営業をもとに戻していく必要がある。これはうまくやったほうが利益が上がるから競争になるのかもしれない。観光業の弱点を知ってしまった労働者をどれだけ呼び戻せるのか。あらたな商機はないのかを探るべきだろう。

 もてなししたくてもできないという状況を打破して、できることから始めるべきだ。この際、新規参入者も出てくるのではないか。

東京はどこまで

 コロナウイルスの蔓延で産業社会が衰退する中で、政府は観光支援策を打ち出し今日から実効されている。ただし感染者数が高止まりしている東京都は除外するという。これは理想的には東京から出ることも入ることも自粛すべきだがそんなことができると考えている日本人はほとんどいない。実におかしな政策である。

 日本人でなくてもグーグルマップか何かで東京を検索してみれば一瞬で分かることだが、東京は関東地方の一部分であり、その境目にはほとんど自然の障壁はない。多摩川や江戸川を境界とする地域もあるが、日本の河川はどれも小さく多くの橋が架かり、鉄道や車両が常に行きかっている。私の住んでいる地域は川さえない。道路歩いているといつのまにか他県に入っている。

 私は都民であるが職場は他県にある。職場に行くまでには都と県を複数回またぐ、そんなことも意識していないのが都民の実情なのだ。都県をまたぐ移動をしてはならないという自治体からの要請もあったが、実際は不可能だ。努力目標としてもあまりにも非現実的すぎる。

 今回の観光業支援策にはそれなりの理由は察せられる。地方経済はコロナ騒ぎ以前に深刻な状況にあった。自粛要請はそれに追い打ちをかけ、すでにとどめを刺された企業もある。それを救済するという試み自体は間違っていない。ただし、一方では感染予防を訴えながら、他方では感染の要因となる移動を推奨することは明らかに矛盾している。もっとほかの方法はなかったのだろうか。

 県内観光もしくは圏内観光の推奨の方がまだましであったかもしれない。自県の観光資源を見直す運動を打ち立て、格安の価格で観光資源を提供すれば地域でお金を回すことになり経済学的の理にかなう。日本はどの県も観光資源を有している。ただ意外と自分の家の近くの観光地には行ったことがないという人は多い。この体験をする機会になればいい。場合によってはリピーターとなるし、そうでなくても観光宣伝の口コミをしてもらうきっかけになる。

 政府の観光支援策がウイルスの拡散につながったという結末にならないことを祈る。そうなれば狙いは全く逆効果になり、地域産業に本当にとどめを刺してしまうのだから。

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