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人任せにはできない

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 残念ながら安倍晋三氏は逝去されてしまった。心から哀悼の意を表したい。国のために生きた政治家として尊敬する。容疑者が政治信条に対する恨みではないと述べているらしい。宗教団体の幹部を狙ったなどとも言っている。もしこれが本当だとすれば、この何とも訳が分からない者の手によって元首相が殺害されという事実が悲しい。理由が何であれ、暴力で現状を変えることは間違いだし、絶対に許すことはできない。

 安倍氏はマクロ経済に着手することで日本の国力の復活を目指したのかもしれない。結果的に復活はせず、国民は金融政策に守られているという安心感だけを得て、成長ができないまま停滞してしまった。既得権を持つ者の利益はある程度守られたが、新興の個人や企業には厳しい政策を続けている。その流れはいまも続いている。結果的に安倍氏の目論見は達成できないままだった。

 金利を下げ、金回りをよくするだけでは経済は動かないという事実が、安倍政権以降の政策で明らかになった。これは残念ながら、いかんともしがたい事実なのだ。日本の将来のためには別の方法がとられなくてはならない。新しいものを生み出すことに価値観を見出し、それを応援することができる社会的なコンセンサスが必要だ。

 安倍氏が結果的に命を懸けて変えようとした日本の状況を私たちは引き継いでいる。残念ながら政府に任せていると同じ事が繰り返されるだけだ。まずは国を変えるという意志を持たなくてはならない。おそらく最も優先しなくてはならないのは自分たちの未来を人任せにしないということだろう。日曜日の参議院選挙の投票はそのための第1歩だ。

地元で支える

Nagasaki city

 コロナによる経済停滞がさまざま問題を起こしている。経済的な基盤の弱い企業が少しずつなくなっていき、街の様子が変わりつつある。そうでなくても低成長と人口減少、少子高齢化などの難問がある中で、地元の経済圏を支えることの意味が問われている。

 以前、長崎を訪問した時、地元の起業家から地域経済の危機をうかがったことがある。市内にある多くの企業は県外の支社であり、その収益の多くは県外に流出してしまう。お土産として買われていくものの中にも実は県外で生産されているものもあり、製造過程から地元経済圏への恩恵は少ない。最近は中国企業の進出もあって国外への流出も顕著だ。これはコロナウイルス流行前のことだったので、事情は変わっているかもしれないが本質的な問題は変わっていないだろう。

 その起業家は地元で作り、地元の店で売ることが大切だと繰り返していた。そのために小さな企業を立ち上げ、地元の人を雇い、観光客に本当の地元の商品を届けるのだと言っていた。大切な視点だと痛感した。もっと言えば地元の人でも欲しいと思うものを作らなくてはならない。

 チェーン店のものを買うのにすっかり慣れた私たちは、旅行先でも自分の街でも見慣れたブランドの店を選びがちだ。飲食店でいえばそこそこ安く、味の最低限の保証はあり、値段がいくらであるか見当がつく。そういう店を選びがちだ。しかし、これでは地元に落ちるカネは限定的なものになる。個人の商店が作るちょっとだけ高いがそこにしかないものを評価する考え方がいる。

 収入の増えない日本人にとって少しでも安い店を探すことは仕方がないことだ。しかし、安さを追求するあまり地元の経済を瘦せさせてしまったならば、様々な不利益は結果的にわが身に降りかかることになる。地元の社会は地元で支えるという考え方が見直されなくてはならない。

給与を上げて

 少しずつ物価が上がっている。日銀総裁は価格上昇が許容できる段階になったというふうに取れる発言をして釈明することになった。サラリーが上がらなければ物価高は経済停滞を引き起こす。高所からものをいう人には個々の事情は捨象する。だから、野党議員にスーパーで買い物してみてはなどと言われてもびくともしない。

 物価が上がる条件は給与も上げることが条件だ。経営者にはこの点を考えてほしい。経済が回らなければ結局自らの首を締める。人的投資は即効性のある行動であると言いたい。

東京でなくても

リモートワークが普及する中で、企業の中心を都心から移す事例が出ている。一極集中のもたらす弊害やリスクを回避するためには良い考え方だ。

帝国データバンクが2021年9月3日に公開した「首都圏・本社移転動向調査(2021 年 1-6 月間速報)」によれば、2021年1月から6月の時期に首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)から他の地域に本社を移転した企業は186社であったという。6月までの統計で150社を超えたのは過去10年では初めてということである。その後もこの傾向は続いていると考えられ、300社を超えるとこの時点で予測している。移転先で最も多いのは大阪で茨城、静岡、北海道が続く。同調査は首都圏への転入数も発表しているが、昨年は2010年以来の転出超過になったようだ。

コロナ対策のさまざまな方策は、企業が首都圏にある必要性がないことを証明した。むしろ過密な都市に企業を置くことのリスクを露呈したといえるだろう。加えて我が国には天災のリスクがある。首都圏にはこの先必ず何らかの災害があることは専門家も認めている。もちろん、それは首都圏のみならず日本全国に当てはまるのだが、首都圏がその中心地になった場合のことを考えると、本社機能を集中させるのは意味がない。

地価や物価が比較的安価であり、うまく誘引すれば労働力も確保しやすい地方都市に本社を移転すれば、様々なリスクを分散できるようになるだけではなく、首都圏では得られないメリットがある。もはや東京である必要はない。ブランドでTOKYOを使いたいのなら、支店をおけばいいだけの話である。その意味があるとしたら。

こういう発想はやがて民間、個人にも及ぶのかもしれない。ほどほどのインフラがある地方都市があるのなら、そこに移住したほうがいい。そしてそこに移転した企業か、それに関連する仕事をすれば生計は立てられる。環境の悪い首都圏よりもかえっていい生活ができる。多少不便でもそのほうが人間的だと考える人が出てくるのではないか。

現状では日本の人口の約3分の1が関東地方に集中している。それがもし少しずつ他地域に移動して行けば、密集による弊害はなくなるだろう。逆にそれぞれの地域にライフラインを整備するという問題も発生する。環境に他する負荷も考えなくてはならない。ただ、首都圏を移転するというより、ほどほどの地方都市をいくつも作るという発想の方がいいようだ。

第6波到来

 コロナ感染者が増えだした。世界的にはすでに多くの国々で感染者が激増していたのに日本は異常なほどの低水準であったが、ここにきてその波に飲まれつつある。多くの人が予想していた通り、年末年始の人々の移動も要因になるはずで全国的に広まる可能性が高い。感染予防には万全を尽くさなくてはなるまい。

 オミクロン株感染者もすでに1200名近くに達し、市中感染としか考えられない事例も増えている。報じられているようにこの新種は感染力は強いが重症化の率は低いようだ。とはいえ確率の話であり、個々の状態はそれでは計れない。警戒は欠かせない。

 ただ、私たちはなんどもの流行を経験し、単に閉じこもるだけでは立ち行かなくなることを悟りつつある。動けるものは動かなくてならない。動かせるものは動かさなくてはならない。こうするとまた別の意味の格差が生まれるという可能性もある。条件が悪い人を助ける方法も確立しなくてはならないのだろう。

 分配という言葉は先の選挙での争点になっていた。一見理想的な話のようだが、経済の専門家に言わせればそうでもないらしい。格差ができるのは資本主義の宿命であり、格差がないことは資本主義がうまく機能していないことなのだという。なんとも残念なことだが、そもそも貨幣経済そのものが差を生み出すことで利益をもたらす仕組みであるのだからある意味当然ともいえる。

 だから、首相が一時固執したような金融課税のような方策は資本主義国としては要注意なのだそうだ。富裕層が見切りをつけるとその国の経済が立ち行かなくなる。むしろビジネスチャンスが多い方がいいというのである。政府も最近その方向に転換しようとしているようだ。

 富裕層が増えれば経済活動が活性化するのかといえばそうでもないような気がする。格差が拡張すれば結局大きな社会問題になる。等しく豊かにという社会主義的方策を続ける中国も、どうやら資本主義の軛からは逃れられそうもない。

 制度的な分配策よりも自主的な篤志を促す方策の方が結局はいいのかもしれない。自主的に困っている人や頑張ろうとしている人に援助できるシステムを作るのはどうだろうか。寄付に対するより大きな減税や褒賞をより分かりやすい形に示すのもいい。昔の日本はかなりのムラ社会ではあったが、同一集団に対しては相互扶助の機能も働いていたようだ。その長所は生かすべきでないか。

 コロナウイルスが大流行するたびに思うのは、人間は支えあわなくては無力だということだ。嵐が吹くときは助け合わなくてはならない。

新しい社会

 政府が推進するSociety5.0という未来構想はビッグデータとAI技術を駆使して、仮想空間と現実空間をリンクさせるという構想だ。科学技術で未来を豊かにするという考え方自体は近代科学至上主義の延長上にある。経済的な発展と環境問題や精神的な満足感との調和はそう簡単にはいかないとは思うが、この構想はあくまで理想を語っている。

 総務省のサイトで公開している動画を見るとわかるが、登場する人物の大半は日本人であり、写り込んでいる未来の製品の多くは日本企業の製品である。この点においてすでに現実離れをしている。私達はアメリカや中国や韓国、その他の国のICT機器を使い、ネットワークも外国のものである。日本の製品は部品レベルとなっているのが現状だ。果たしてAIが日本人向けのサービスを展開してくれるだろうか。

 グローバリゼーションの流れを止めることはできないのは事実だ。Society5.0はおそらく非日本社会になることなのだろう。日本人が自分の国のことを自分で決められない社会になるのかもしれない。そして、これは日本だけの問題ではなくなっていく。総務省のキャッチフレーズは人間中心の社会であるが、ここでいう人間が何を何を指すのか、誰のことなのかは再考しなくてはならないようだ。


操作

 昨今の株式市場の変動はかなり激しい。実際の経済がほとんど変化がなく、コロナ禍からの緩やかな脱却が進んでいるのに比べ、何もないのに大きな事件が起きているかのようだ。

 ある人は機関投資家の意図的な操作だという。一種の陰謀論だ。変化をつけることで利益を生み出すのが資本主義の原則だ。だから、僅かな要因を拡大解釈して株価の操作に使うという。真偽は分からない。

 日本経済が操作によって左右されやすくなっていることは間違いない。選挙が近いが荒波を乗り切る覚悟を問いたい。

所得倍増?

 岸田首相が自民党総裁選挙で掲げた所得倍増の言葉の解釈をめぐって疑問が出ている。経済再生担当相の山際氏が苦し紛れの釈明をしているが誰もが倍増などありえないと考えている。むしろ虚しい言葉を使う政治家を軽蔑する材料となっている。

 所得倍増は戦後の復興期の特殊事情でこそ実現したがいまはどう考えても無理だ。見かけ上のインフレで倍増しても通貨の価値が下がるようでは無意味だ。

 ただ、所得を増やすことはこの国にとって死活問題であることは相違ない。まずは持てる人たちが金を使う方策を考えるべきだろう。持たざる人たちまで利益が及ぶためには使ってもらわなくてはどうしようもならない。一律徴税するという愚策はやめた方がいい。

 金を回すのが富裕層の義務であり誇りであるという考えを普及すべきだ。個人的には金持ちの贅沢にはやっかみもあるが、大事なのは経済を循環させることなのだろう。倍増は無理でも少しは潤うきっかけが生まれる。

非常停止装置

自動車の運転手の発作によって悲劇的な事故がまた起きてしまった。運転手は文字通りの急病であったようで、健康診断に異常はなかったということである。高齢社会の日本ではこのような事故が定期的に起きている。もちろん高齢だけが問題ではなく、人間は間違った判断をしてしまったり、今回のように突然自分の身体が制御できなくなることもある。

そういうことを踏まえた自動車の設計をしていく必要があるだろう。自動運転はこれを解決する方法になるかもしれないが、その段階に至る前にもできる事あるのではないだろうか。例えばアクセルの踏み方がおかしい場合は自動的に動力を切り、制動装置を作動するといったことはAIの技術などを応用して実現することはできそうである。未来をための開発もいいが、現実に起きていることを解決する技術の開発にも期待したい。

私などの素人はまず運転席に乗ったときに即座に健康状態を測定する機器を搭載すれば、リスク回避の一助になるかと思う。制動装置の開発は少し遅れるだろうから。こうした開発の資金は国税を投入にしても十分な見返りがあると考えるがどうだろう。

傘レンタル

 駅で傘を貸すサービスが始まっている。サブスクリプションの方式で借りっぱなしでもいいようだ。安いビニール傘が雨のたびにうち捨てられているのを見ると心が痛むがこれはその解決策の一つにはなるだろう。ランニングコストがどうなのかなど気になることが多い。注目しておきたい。