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新薬

アルツハイマーの症状を緩和する新薬がアメリカで承認された。日本の企業のエーザイが開発に絡んでいるとのことで期待されている。

ここからは妄想だ。新薬の価格はかなり高価で、今のところ誰でも使えるわけではない。日本の場合は保険の対象になる可能性はあるが全額は出ない。するとこの薬は富裕層に独占され、それ以外は恩恵に与れないことになる。

 すると、天命を全うし、健康年齢を活用できるのは限られた集団のみということになる。この妄想はおかしい。罪深くさえある。しかし、もし事実ならば未来はどうなるのだろうか。

新薬がもたらす新世界の幻想はこれまでもSFの世界では常套的な構想だが、それが近い将来に現実になるかもしれない。妄想だが。

適応

進化できるかな

 人体が環境にどう対応していくのかを考察したものはいくつかある。そのいくつかはファンタジーと言える類であり、ホラーとしか思えないモノもある。

 進化という名で呼んでいいものなのかは分からない。ただ環境に対する対応ということに関して言うなら人体は確実に変化していくだろう。さらに人為的な改変も加わる。外見を一時的に変えるだけではなく、遺伝子を操作して根本的に変えてしまうことはこれから普及していくはずだ。人工的な機能を内蔵することもあるだろう。コンタクトレンズ型ウェアラブルデバイスはもっとも実現しやすいものという。何かの漫画ではないが機械伯爵との対決は嘘ではないのかもしれない。

 ただしこういう話の大前提は人類がヘマをしでかさないことだ。環境汚染で自滅したり、核戦争で未来の可能性を断てば何も起こらない。

似顔絵

顔の印象はどこで決まるのか

 まったく下手なのだが絵を描くことには興味がある。人の顔を描いていて思うのが僅かな違いで印象が激変するということだ。

 顔を描いているとき、ほんの少しの線の有無で雰囲気がかなり変わってしまうことに気づく。だから絵を描くときこれがどのような効果をもたらすのかを常に考えている。

 絵ではなく実際の顔認識ではどうなのだろう。誰かを誰かに似ているという話を聞くとき、納得するときと疑問を感じるときとがある。顔の印象を決定づける要素が人によって異なるのではないか。先の絵の話で言えばどの線を描いてその人らしさを捉えるのかが人によって違う可能性がある。

 写真から似顔絵風のイメージを生成するアプリがある。やってみると同意できないことが多い。我々の視覚はかなり主観的なもののようだ。

レトロラッピング

 現在走っているガソリン車のポディをそのまま使って電気自動車にしてしまう企業が注目されているらしい。中にはいわゆるクラシックカーのEV化もなされるようで興味深い。

 松本零士の漫画に銀河鉄道999がある。見た目は蒸気機関車が牽引する客車だが、銀河を越えて遥かな旅をするハイテク列車だ。見た目はレトロだが実は最先端技術が搭載されているというものは今後の一つの流れになるかもしれない。新しいものは機能的だが、それゆえに味わいがない。レトロなラッピングをすることで親しみやすく使えるものができるかもしれない。

 ものの話ばかりしたが人間にもそういう人がいても面白い。見た目は老けているのだが実は最新のスキルを持っている。そういう人だ。私はそれを目指したいが中身がやはり追いつかない。ラッピングの方はすでによくできているのだが。


水素エンジン

 飛行機が飛ぶときに大量の燃料を消費するのを考えると、持続可能性という観点では大いに問題があることになる。ガソリンの代わりに電気や燃料電池などで飛ぶ飛行機を作ればいいと思うが、技術的に問題がある。

 水素エンジンは一種の夢だ。実際には水素だけで飛ぼうとすると燃料タンクが大きくなってしまい長距離の飛行には向かない。様々なインフラを整備しなくてはならないことを考えると現実的ではない。ただ、化石燃料を使わない飛行機ができることへの期待は止められない。いつか爆音をあげない飛行機が飛ぶことを夢見てしまうのだ。

道具

 ITがどんなに発達したとしても、それが道具であることに変わりはない。そのことを忘れると道具の道具にされてしまう。

 私たちの知っている大工道具や文房具と比べると、電子化された道具はかなり容態が異なる。人工知能のような道具になるともはや人格さえ感じる。カズオ・イシグロの『クララとお日様』のラストシーンの決まり悪さはもう道具が道具と見えないことによるものだ。

 でも、もう一度考える必要がありる。私たちは道具を使っているのであって、道具に使われてはならない。当たり前なことなのだがいつの間にか忘れられてしまっている。

 道具を使いこなすのは身体だけではない。それを使う精神も健全でなければならないのだ。

危険な作業

 たとえば放射線が多くて生命に差し支えるような場所にAIを搭載したロボットを送り込んて作業させることは容易に想像可能だ。人的被害がでないのだから理想的な解決策のように考えられる。

 外部からは観測し得ない状況にあり、通信もままならないとしたなら、現場のAIは自律的なプログラムによって任務を継続することになる。それが致命的な爆発に至る可能性があるとしたとき、私たちは人工知能に命運を委ねることができるのだろうか。

 これはSFの話ではない。人生の重要な選択をどれだけ機械に任せられるのかはあらゆる場面で問われることになるはずだ。人間よりはるかに精度が高い判断をする人工知能だが、それに究極の選択を任せられるのかは哲学的問題に属するだろう。