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感触

 圧倒的に足りないのはその時限りの感触だと思う。それは常に一度限りの偶然のものであり、類型化できない。そういうたぐいの経験を現代社会はあまりにも蔑ろにしていると感じる。

 AIが達成した生成技術とは人々の経験の類型化の産物だ。個々人の経験はあくまでその材料であり、平均から遠いものは外れ値として処理される。かけがえのない経験というものは注意深く除外され、最も確率の高い答えが採用される。だから、間違っていないと感じさせるとともに、どこか胡散臭い感じもある。

 こんな時代に自分を見失わないためにはどうすればいいのだろう。他人と比べてこれが正解だと安易に考えないようにすることが大切だろう。ただこれにはリスクが伴う。社会的に正解と規定されたことから離れたことをすれば、それだけ評価が低くなる可能性がある。それでも自分の価値観を貫きたいと思うなら、もうそれは哲学の問題だ。大方の理解が得られるとは限らない。

 自分の感触を信じて非効率、非社会的でも己の美学を通すのか、その逆でいわゆる効率的に生きるのか。現代社会はその選択を迫ってくる。

熱中できる余裕を

 何かに熱中して時を忘れてしまうという経験は誰にもあるだろう。今はそれを時間の無駄使いと考えてしまうが、実は大切なことだとも思う。何かに打ち込めるというのはそれだけでも幸せなことなのだ。

 恐らく熱中できる余裕を今はなくしている。1日本を読んで何もしなかったとか、限りなく歩き回って何の用事も足さなかったといったことがなくなっている。少なくとも何らかの意味づけをして自己満足をする。それができなければ自責の念に苛まれる。

 よく考えてみれば余裕のない不幸な日々なのだ。すぐに答えを出さなくてはならない最近の風潮に背くことも必要なのかもしれない。そこから始まる何かもある。

老人の姿に

 老いを感じることはいくらでもあるが、それに反して実はそれほど変わってはいないとどこかで考えている。とんでもない錯覚だが、実は誰にでもあることなのだ。若い人には分からないだろうから、将来のあなたのために書いておこう。

 筋肉の低下は意外なことに顕著に起こる。私は毎日10,000歩以上歩いている。筋肉低下とは無縁だと思っていたがさにあらず。最初に異変に気づいたのは50代半ばのことだが、どうも足が上がらないために、ちょっとした高低差で躓くことが起こった。そのうち平たいところでも足がもつれることがあるようになった。月に一度あるかないかなので、気にせず対策をしなかったが、今になって考えると老化による筋力低下の始まりだった。

 老人というと腰が曲がり、杖をつく姿を思い浮かべるだろう。彼らはいきなりその姿になるわけではない。昨日までやってきたことが少しずつできなくなっていっただけのことなのだ。そしていつの日か劇的変化が訪れる。

 老人の姿を身近に感じられる年齢になって、少しでも他人に迷惑をかけたくないと考えるようになった。そのためには最低限の体力維持のための努力はしなくてはなるまい。もう自分のためという枠を超えている。

 

苦手なものは誰にもある

 人には適性というものがある。オールマイティと言われる人もよく見れば苦手なことがある。彼らはその苦手なことを目立たないようにするのが得意だ。だから、何でもできる人のようについ思ってしまう。

 私のようにいろいろな面で難渋している者には、言う資格はないのかもしれないが敢えて言おう。苦手なものがあることは個性であってそれ以上ではない。できないことがあるのは当たり前で、その点だけ取り上げて非難するのは間違いだ。そういう君もできないことがあるはずなのに、何を偉そうにと私などは思ってしまう。直接言えないが。

 最近、ある局面だけで他人を見下す人が増えているように思えてならない。恐らく見下す人もどこか自己肯定感を持てておらず、他人をけなすことでようやく自己を保っているのかもしれない。哀れだがこれは互いを低め合う悪行である。本当に相手を貶す意味はあるのか。自己満足のために他人を巻き込んでいないかは考えて見るべきだ。

 人間は集団の生物であり、ある意味互助で進化の過程を切り抜けてきた。その精神が失われたとき、弱い生物に転落するのだろう。残念ながらいままさにその過程にある。

 自分の不完全さを知り、同族に助けてもらえる知能を獲得できていることを思い出す必要がある。援助をAIに求めるならば、人間はますます分断されていく。私の人生の尽きるまではそう間がないが、その間にヒトの生き方を思い出す機運ができればいいと思う。

 

老兵の戦い方

 多くを望まず自分のできることを恬淡として行うことがこれからの生き方の目標である。それはある意味後退であるが、撤退ではない。最前線には立たないがしっかりと事態に立ち向かう。体力や気力の減退はいかんともしがたい事実であり、それを前提としてやれることを粛々と行うしかあるまい。

 最近の自分の行状を省みるにエラーが多く、十分な貢献ができていない。私は全く手抜きをしていないのだが、それ以上に気力体力の減退の方が大きい。進もうと思っても足が動かないといった感じである。もがくが足掻くが前に進まない。そんな感じである。

 この様な状況になることはなんとなく予想はしていた。しかし、いつその段階になるのかは分からないし、仮に分かったとしても何もできないだろう。加齢という宿命に関して私たちは無力である。敵は見事なステルス攻撃を仕掛け、いつの間にかに本丸まで侵入してくる。そして一気に首を取に来る。

 だから前線で戦うのはもうやめて、後方をしっかり固めることにしよう。老兵にはそれなりの戦い方がある。消え去る前にやれることをやっておこう。