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だまされやすい環境

 感染予防のために人々が分離され、状況をメディアを通してしか把握できなくなると、ものごとの状況の風合いを体感できなくなります。本当はどうなのかを実感できなければ、すぐに見破られるはずの嘘にも騙されることになるかもしれません。

 昨今のトイレットペーパー欠乏デマはソーシャルメディア発の偽情報が瞬く間に広まったものだと言われています。その情報自体も検証しなくてはならないのですが、誰が言ったかよく分からないことに多くの人が騙されてしまう状況は、今日の状況で起こりがちであることがよく分かりました。

 コロナウイルスの終息がいつなのかわからず、人々が語り合う機会も奪われつつある今、だまされやすい環境が整っているといえます。混乱を招かないための工夫をしていかなくてはならないと考えるのです。

脅威の価値

 北米大陸を中心にインフルエンザが大流行し多くの死者が発生しているようです。中国発の新型肺炎よりも致死率は高いようですが報道は控えめです。

 アメリカで流行しているインフルエンザはウイルスとしては新しいものではないようで、対策のワクチンも存在するようです。ただ皆保険制度が存在しないアメリカではインフルエンザにかかっても医療機関には行かない人が多いために流行が把握しにくく、対策が後手に回るようなのです。

 アメリカのインフルエンザは非常に脅威ではありますが、さほど報道されず、コロナウイルスばかりが注目されています。これはニュースの価値が実情以上に偏向しているといえます。事実をどのように伝えるのかはジャーナリストの責任でもあります。またそれを読み取る側の能力も試されています。

言論統制

 中国武漢で発生したと言われる新型肺炎の報道についてはいろいろと考えさせられます。目的は何かによって報道の中身がまったく変わってしまうということを改めて痛感しています。

 発生段階で新型のウイルスであり、大量感染の可能性があるとネットに書き込んでいた武漢の医師は当局でデマ拡散の行為により処罰されていたとのことが報じられています。これが事実ならば予防線を張る機会を人的に奪ったことになり、当局の判断ミスは重大です。デマによる人心の撹乱と、危険察知のどちらが重大かを考えなくてはなりません。中国は言論統制がしやすい政治体制にあることは知られています。ただ、これは共産主義国家でなくても起こりうるケーススタディになります。

 武漢から帰国した邦人に対する報道についてもマスメディアやソーシャルメディアの報じ方について注目すべき点があります。人権と公共の福祉とのバランスをどのように考えるべきか。この問題も臨機応変の判断が求められていきます。

 以前の新型インフルエンザ流行のときにも行き過ぎた報道が問題になりました。私たちは適切なメディアリテラシーと判断力とを持たなくてはならないようです。

騙されないための読解力

 日本の子どもたちの読解力が低下しているとは最近よく言われるニュースです。OECDが行う生徒の学習到達度調査であるProgramme for International Student AssessmentいわゆるPISAの結果に日本のメディアはかなり敏感に反応します。そして教育界もこの数値をかなり気にしているのは事実です。

 昨年参加した教員向けのセミナーのほとんどでこのPISAの話題がでました。これに対応する能力をPISA型学力などということもありました。今話題になっているのは2018年の調査で日本人生徒の読解力が参加国・地域の15番目となり、著しい低下と捉えられました。萩生田文科相もこの点について「判断の根拠や 理由を明確にしながら自分の考えを述べることなどについて、引き続き、課題が 見られることも分かりました」とコメントしています。そしてこの調査がコンピュータで行われていることなどから、コンピュータに対するリテラシーも関与していると判断されたようで、学校での一人一台コンピュータの実現を目標に掲げています。

 ところでこの「読解力」を測るテストはどのようなものかといえば、ある大学教授のブログなるものやアマゾンや楽天などで見られるブックレビューのような記事をを読んでそこに書かれている内容を読み取るものでした。詳細は文科省のページから読むことが可能です。

 ここでいう読解力は情報を正確に読み取るという能力であり、いわゆる行間を読むとか空気を読むというものではありません。日本人が一般的に考えている読解力とは少々次元が異なるものです。非常に基礎的で根本的な能力といえます。逆に言えばこれほどの読解力が低下していることに危惧を感じるのです。

 おそらくここでいう読解力は意図的に悪意のある情報源からうそを見抜いたり、勝手に誤解して誤った行動を起こしたりしないための能力のことをいうものと考えられます。その意味ではメディアリテラシーのレベルの話であるといえます。その点を踏まえておかなくてはなりません。

 ソーシャルメディアの普及で私たちは文字に接する機会が増えましたが、断片的で不十分な情報のやりとり、もしくは一方的なつぶやきに終始することが問題なのでしょう。相手の言いたいことを時には批判的にしっかり読み取り理解する能力は意識しないとつけられないのかもしれません。騙されないための読解力を馬鹿にしてはいけないのかもしれません。

 私のような国語教師にとってはこの段階の読みを読解力と呼んでほしくはないという気持ちがどこかにあります。ただ現実と向き合うことは大切なのでしょう。情報にあふれながらその処理の仕方をいまの子どもたちは実はきちんと教えられていないのかもしれません。