移ろいやすいのは秋の空である。昨日は冷たい雨に震えたが今朝は実に穏やかな晴天である。空気が乾いているせいか爽やかだ。路面が濡れているのは雨のせいではなく、気温差の激しい夜から昼への切り替わりにできた露なのだろう。
ついこの間までは汗にまみれていた身体が肌寒さに驚く瞬間が度々ある。桜並木も少しずつ黄葉が始まり、すでにすすきの群舞は始まっている。
まもなく目的の駅に着くが、このまま朝の光を浴びていたい気もする。
日々の思いを言葉にして
タグ: 季節
移ろいやすいのは秋の空である。昨日は冷たい雨に震えたが今朝は実に穏やかな晴天である。空気が乾いているせいか爽やかだ。路面が濡れているのは雨のせいではなく、気温差の激しい夜から昼への切り替わりにできた露なのだろう。
ついこの間までは汗にまみれていた身体が肌寒さに驚く瞬間が度々ある。桜並木も少しずつ黄葉が始まり、すでにすすきの群舞は始まっている。
まもなく目的の駅に着くが、このまま朝の光を浴びていたい気もする。
急に季節が進んだ。ここ数日半袖では出歩けなくなっている。昨日の朝は10℃を割った。
今朝は秋雨そぼ降る中の出勤である。電車の乗客の着ている服の色が一気に濃くなった。すでに厚めの防寒着を着込む人もいるがさすがに尚早か。
昨日は十三夜だった。もう気づけば年賀状やおせち料理の予約が始まっている。秋来たりなば。
庭木として人気のあるモッコクは花に注目が集まるが実も魅力的だ。秋の日に小さな林檎のような実をいくつも連ねているのは、鳥ならずとも豊穣を感じさせる。椿の仲間というが、まったく別の季節に心を晴らしてくれる植物だ。
隣家の庭木にたくさんの蜜柑がなっている。初夏、ひそかに白い花をつけていたので、結実を楽しみにしていたが今年は特に豊作のようだ。
温州みかんの元祖は橘であると聞く。記紀万葉にときじくの香ぐの木の実と記されているのはこのことらしい。常緑の木になる色鮮やかな果実は生命力の象徴と考えられ、仙薬にもたとえられた。
実家の庭にも蜜柑があり、昨年はそこそこの収穫があった。ただそれを楽しむ人がいないのが残念だ。仙薬ほどではないにしても、摩訶不思議な植物の力をいまは切望するばかりだ。
街路樹のハナミズキに赤い実がなっている。知らないうちに大きくなったようである。一度気づいてしまうとどの木にも見えるようになる。ものの認識とはこのようなものだ。
季節の移ろいは色々なきっかけで気づく。人工的な風景の中にも季節は見えてくる。それに気づくのにはそういうことへの関心がいるのだろう。天気さえもスマホの画面で確認しようとする私の生活からは季節を感じ取る力さえ衰えつつあると言わざるを得ない。
ハナミズキは紅葉し落葉する。その色もなかなか鮮やかなものだ。いつもその鮮やかな赤を何とか保存したいと思うのだが、写真に撮る以外に方法がない。仮に何かで標本化しても、それはすでに別のものになっている。それぞれの季節の印象を心に焼き付けておくことが季節を知る始めとなる。
長期予報によると今年の寒気は早めに訪れるらしい。昨日まで真夏日だったことを思うとかなり急だ。
去年の冬はどうだったろうか。このところ一年中マスク生活なので季節感が崩壊している。冬は寒い方がいい気もする。何もかも曖昧だ。
どんなに情報機器が発達しても私自身は目先のことしか考えられない。だから同じ失敗を何度も繰り返すことになる。
私の住む地域の予想最高気温は30度である。今期最後の真夏日かもしれない。週間予報では来月はじめにも高温予報は出ているが。
気温は上がっても湿度が夏のそれとは異なる。光の色も違う気がする。通勤電車の線路脇のどこまでも続くすすきの列が風になびいているのを見るとさらに移ろいを実感する。
今日は上着を置いてきた。これも今日までかもしれない。
今日が秋分の日ということはこれからは夜の長さのほうが長くなることを意味する。今日は真夏の陽気でとても秋とは言えないが、それでも空気は乾燥していてさすがに8月とはちがう。昔から暑さ寒さも彼岸までというからこれから急に季節は変わっていくのだろう。
先程、散歩をしていたらすすきの穂が風に揺れているのを見た。それもかなりの群生だ。目にはさやかに見えねども、確実に季節は変わりつつある。緊急事態宣言の取り下げはタイミングが難しいが来月はランクを下げざるを得ないだろう。いわゆる「人流」も復活し、ワクチンの効果がどれほどなのかが試される。
実りの秋はどこにあるのか。見定めていかなくてはならない。
ここ数日暑さが戻ったがやはり日没すると急に涼しくなる。秋の風情をかきたてるのが虫の音だ。コオロギやら名も知らぬ虫たちが一斉に鳴く。国によってはこの音をノイズとしか捉えないと聞いたことがある。私達にとっては情緒の塊なのに。
上着を着ずに出かけたことを少々悔いている。今日は少し気温が上がるようで、24度に達するかもしれないということだ。このところ少しあとの季節の先取りをしているだけに体感温度の調節が難しい。
季節の変わり目は神々の往来があるというのが古代からの伝統的な考え方のようだ。様々な災禍や病患を発生しやすいことから生まれた民俗なのだろう。根拠の有無は分からないが注意するに越したことはない。
来週からは上着をつけようかと考え出している。体温調整の準備も必要だ。