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神は自認しない

 昭和の歌謡曲の有名な歌詞もしくは台詞にお客様は神様ですというのがあった。高度経済成長期の商業の場面でもこのフレーズはしばしば援用されていた。日本の接客サービスの良さはあるいはこのマインドセットが影響しているのかもしれない。

 ただし、これはサービスをする側の心得、もしくは目標のようなものであって顧客側が神様を自称したらおかしなことになる。サービスを受ける側の態度が尊大になると様々な弊害が起きる。

 カスタマーハラスメントと言われる迷惑行為は、残念ながら中高年層に多いのだという調査結果が出ている。本来なら若い世代を導くはずの中高年がトラブルの主人公になってしまっているのだ。

 その原因の一つは目まぐるしく発展し変化を遂げた技術についていけてない焦燥にある。昔なら店員が平身低頭で接客していたのにいまはセルフで何でもやらなくてはならない。その説明もないのに若い世代はすぐに順応するが、年配者はそうはいかない。だから、サービスの不十分を感じ、それが怒りにもなる。

 神のごとく特別な態度は実は何もできない焦りでもあるのだ。我々は神を自認してはならない。それをした瞬間から、人間とは通じ合えない孤独な存在になってしまうのだ。

 私はカスハラを起こす世代にある。最近の機械任せの状況は人手不足や、経費節減のための策であることは承知している。しかし、やはり物を売る側の奉仕と、買う側の感謝は忘れてはならないと思う。怒れる老人に眉を潜めているだけでは解決しない。そういうあなたも将来同じようになるかもしれない。奉仕と感謝の精神を再認識する必要がある。

黒字の金曜日

 この時期になるとブラックフライデーという言葉をよく耳にする。ブラックというとネガティブなイメージが先行するが、このブラックは黒字の意味で商売する人にはいい言葉らしい。

 アメリカで感謝祭の商品の売れ残りを値下げ販売する商業習慣が他国でも取り入れられたらしく、日本もその恩恵に預かろうという商魂のなせるわざである。ハロウィンとクリスマスの間を埋めようということだ。

 日本ではまだこの効果は限定的だ。ブラックフライデーの知名度は低いし、数々あるディスカウントセールとの差別化もついていない。感謝祭の習慣がないのだから、そのおこぼれと言っても説得力がないのだ。

 何でも和風にしてしまう国民性の力が発揮されるときが来れば、日の目を見る事態になることもあるかもしれない。そのときはやはりブラックの名は変わっているかもしれない。

クリスマスへの切り替え

 ハロウィンが終わったその夜にすでにカボチャのオブジェは片付けられ、クリスマス仕様に置き換えられていた。商機は隙がない。

 つい先日まで夏日だったのでクリスマスの雰囲気は全くないが、すでにラッピングや音楽はクリスマスを意識したものになっている。これからの日暮れが早くなるとますますその気配が感じられるようになるのだろう。

 コンビニエンスストアでは年賀状が売られ始めた。季節感が狂いがちな昨今だが、人事の方は確実に推移していく。

外見とは違う

 見た目は昔のものだか中味は最新型というものに魅力を感じる。最近、折りたたみ携帯電話型のスマートフォンが発売されてかなり惹かれている。

 クラシックカーを電気自動車にしたり、見た目は昭和の電化製品なのに中身の機能は最新の技術に溢れているというものが他にもある。わざわざ昔のデザインに合わせるのはかえってコストがかかると思うがそういう遊び心はあっていい。

 エイジド加工ならぬ見た目を骨董品に見せる方法もあるとよい。小型化した現代の機器を昔の道具の中に忍ばせて使うのも面白い。リサイクルショップで外側を探してみよう。

何もしない店員

 先日、レジの前で不満を述べている年配の方がいらっしゃった。この店は何もしてくれないのか。嘆きと怒りの混ざった感情でつぶやいたことばは近くの人に確実に聞こえていた。

 日本最大手のコンビニエンスストアチェーンのセブンイレブンジャパンは、店舗のレジの無人化を進めていいる。品物をレジに持っていくと、商品のバーコード読み取りはやってくれるが、支払い方法の選択から入金、生産などは客側が操作するように機械が客側を向いている。レジ袋を断ると商品の袋詰までも客がやらねばならず、年配男性の怒りと嘆きとが生じるという訳である。

 ウイルス感染予防の対策という大義名分もあって、この流れは今後拡大するであろう。店員がやる仕事が減るのは合理的なのかもしれない。ただ失うものも多いはずだ。各店舗が個性を出さなければ完全に等閑視されることになる。いつ生まれ消えても何の印象にも残らない商店はおそらく長続きはしないだろう。

 時代の流れの中でも失ってはならない要素がある。もてなす面倒な作業を止めたとき、深刻な後悔が始まるのではないだろうか。