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リスク分散

 リスク分散にはいろいろな意味がある。一時的な利便性や経済的な理由で選択肢を絞ると有事に危機に陥ることはさまざまな事例で確かめられている。便利だから安いからと一つのルートに限定するのは危険な試みということだ。日本という国家がいま、その間違いに直面している。石油を中東に依存し、経済活動の多くを中国に依存し、安全保障をアメリカに依存する。それぞれの部門においてほかの選択肢が貧弱で、いざとなれば八方塞がりになる。

 リスクを回避するためには損を見込まなくてはならないもっとも効率的な選択で全てを満たさず、敢えてコストなりリスクなりを伴う手段を捨てずに維持するのだから、結構難しい決断だ。有事に備えて無駄を取る勇気がいることになる。これを実行でき、国民に説得できるリーダーはいるのだろうか。

 他人事よように話すのはやめよう。私自身の毎日も効率性とか経済性とかだけを追求して、それらが破綻したときに共倒れにならないように、リスクヘッジをすることを忘れまい。富裕層のようには振る舞えないが、日本列島に住む国民としてもしものことを想定した生き方をしたい。

危機喚起

 NHKの山内泉アナウンサーの津波警報発令時のアナウンスについて考えてみた。東日本大震災の教訓を活かし、津波警報発令時はアナウンスのトーンを変え、生命の危機が切迫していることを伝えるようにしたことは知っていた。そのマニュアルに従ったものであったといえる。

 ただ、そうは言っても実際にできるかどうかは別問題だ。感情的になりすぎて伝えるべきことを伝えられなければ意味がない。アナウンサーとしては冷静に事態を受け止めながら、音声では緊張感を出して叫ぶように話さなくてはならない。プロの技を見せてもらった。

 大震災を経験していてもすぐに油断は発生してしまう。それが人間の恐ろしいところだ。津波の可能性が少しでもあれば避難するのは知っていてもそれができない。その心理を知って報道することが必要なのだ。

 NHKについて批判的な人も多いが緊急時に公共放送がなかったらどうなるのかを考えると恐ろしい予想しかできない。

不安のなかで立ち現れるのは

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 何かに対する不安感を多くの人が共有したときに大きく時流が変わることがあるらしい。特に危機感を利用して人々の気持ちを扇動する存在が現れたとき危うい展開が起きやすい。世界の歴史をみても、天災や戦争などによる危機的状況の中に一見救いの道を示すように見える言葉を並べ、象徴的な行動を見せることで「信者」を獲得する者が出現する。それはある時は宗教者であり、資本家であり、政治家であり、独裁者であることもある。表す姿は様々でも多くの人々の行動に影響を及ぼすことは変わらない。

 恐怖の中では頼りになる何かが欲しくなるのは当然のことである。その中で誰かの言葉や行いに救われるということは多い。私たちの日常は大体同じことの繰り返しであり、次に何が起こるかある程度の推測ができる。あるいはできると思い込んでいる。ところが、限界状況においてはその予測が全くできない。どこに進むのかわからない船にのっているのと同様に、展開が見えない時間は極度の不安と焦燥が噴出する。そんなときに、私に任せれば大陸に必ず着くという者が出現すれば救われる気になる。それに根拠がなくても盲従してしまう。

 こういう事態はいつかは起こる。そういう時に茫然自失とならないようにすることが肝要だ。かなり難しいのは確かだが、少なくとも過去に起きた同様の事態がどのように起き、どこに落ち着いたのかを知ることには意味がある。その意味で歴史を学ぶことは大切なのだろう。どんなに知識があってもその事態にならなければ結局どうなるかは分からない。それが事実だろう。でも何も知らないより、知っておいた方が救いにはなる。