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延長されて

 東京などの関東の緊急事態宣言は2週間延長されることになった。医療機関の負担を減らすためだという。一時感染者数が激増し、今も毎日増え続けていることを考えれば仕方ないともいえる。

 ただ、後世のために記せば東京の街は人出に溢れている。もちろんかつてのような超過密ではない。普通の過密状況はここ数ヶ月変わることがない。ほぼ全員がマスクを着用している写真は残しておく必要があるかもしれない。いやこのあとも状況は変わらないのだろうか。

 この延長を東京オリンピック開催の方便と考える人は多い。現状ではかなり危ういがやることはやっているというメッセージを世界に発信したいのだろう。そうなればいいが。

 いずれにせよ暫く忍耐だ。

対策薬

 対策薬を飲み始めた。と言っても花粉症対策である。これを飲むと私の場合、かなり軽減される。ただ副作用があるのが残念だ。

 一番気になるのが喉が渇くことだ。唾液の分泌が減るのだろうか。そうならば防疫面での心配もある。眠気が出ることもあるのは余計困る。最近の薬はかつてほど催眠作用はないが、それでも少し違和感が生じる。

 今年はコロナウイルスに向けた対策を同時にやらねばならず苦労が多い。何とか乗り切らなくては。

ワクチン接種開始

 日本でも新型コロナウイルスに対するワクチン接種が今日から始まる。供給量は少なく、専用の注射器がないために一定量が無駄になるという。医療関係者を優先するそうだ。

 ワクチンの有効性や副作用の有無については確定的ではないとも聞く。ただ、この事実がもたらす社会的影響力は大きく、今後はただ恐れるだけの段階ではなくなるだろう。

 医学的な効果は今後改善されていうに違いない。肝腎なのは社会がコロナウイルスをアフターと考えず、あくまでウィズの時代が続くということを意識すべきだということだ。面倒な話しだが、まだ戦いは始まったばかりだ。

もう一つの難敵

 このところ気温が上昇し、2月も半ばを過ぎたことを実感する。今朝も晴れて暖かく感じる。これから一つ難敵が現れる。スギ花粉である。

 日本人が花粉アレルギーになりやすいのにはいくつかの要因があるという。特に遺伝子レベルの問題についてはもうどうにもならない。森林に杉を植えすぎたのもその一つだ。

 私は小学生の頃にこのアレルギーを発症して随分長くつきあっている。これから4月半ばくらいまでは要警戒だ。ウイルス対策で日頃からマスクを着用していることから例年よりは軽く済むかもしれない。ただ、これからのくしゃみや鼻水は周囲の人に迷惑をかけることになる。いつものように対策薬から始めてみることにする。

小異を捨てて

 最近の世界の情勢は分断の連続だという人がいる。アメリカの政治的な不安定さが象徴的だが、民族やイデオロギーの対立によって人の心が分かれていく傾向は世界の各地でみられる。己の属する集団を守ろうとするのは生物としての宿命ではあるが、人類にはそれを超える叡智を得ることができる可能性が与えられている。

 コロナウイルスが世界中を満遍なく襲っていることは、強烈なアイロニーのようにも感じる。いくら分裂しても人類はそれほど変わらない。種としては同じであり、運命共同体なのであると。共通の敵を仕立てて融和を図るというのは古来からの権力者が使う常套手段だ。歴史の中にはこの方法で大きく変わった局面がいくつかある。今回の場合はウイルスが相手なのだから、共闘することは一向に遠慮はいらない。

 それなのに世界の分断は一向に収束には向かわない。小異をすてて大同につくという古人の教えを実行に移せないのはなぜなのだろう。自分も含めて、私たちは考えていてもできないことが多い。実行することは別次元なのだろう。どうすれば実現できるのか。面倒だがまずこれを考えるという方法から始めなくてはならない。段階が必要なのだろう。

節分

 今日が節分であることはどうしても豆や恵方巻を売りたい商店の広告で知らされた。なんでもかなり久しぶりだそうだ。立春が日付を一時的に越えたのだ。

 冬来たりなば春遠からじとは故人の教えであるが、ある意味昨年から一向に春にならない。炎天下でもマスクをつけ続けて冬将軍に忠誠を尽くした。そろそろ本当の春を迎えたい。

 日本の大都市の緊急事態宣言は一月延長されるようだ。ロックダウンされている訳ではないが気が重いのには変わりない。産業界への影響も深刻だが、人心が冷え込むこと、特に若い世代が夢を見られなくなるのが懸念される。見えない悪鬼に豆を巻き、そろそろ退散していただかねばなるまい。

延長

 日本の大都市で出されている緊急事態宣言はまだ延長されそうだ。海外からこのブログをご覧になっている方もいらっしゃるので、一住民の感想としてお読みいただきたいが、日本人のこの事態に対する感覚はかなり緩い。たしかに感染者数や重症者数は増えているが身近な問題として捉えている人は少ない。

 言えることはマスクをせずに外出する人はほとんどいないこと、店の外に設置された消毒液を使う人が圧倒的多数であることだ。同調性の強い日本人は法的な規制がなくても一度風潮が生まれてしまうと多くが従う。それが今回の事態を深刻にしてこなかった原因だろう。

 ただ、新たな局面が見られるのも確かだ。政治的な強制力が少しずつ検討されつつある。緩い防衛ラインを保てるのかどうかは今後の状況次第であると感じている。規制はされているものの不自由さはまだない。国民からの反対運動も表面化していない。ただ、それを維持できるかどうかは分からない。

身近に

 ウイルス感染の話が身近なレベルになってきた。近隣のクラスタ発生のニュースや家族の近くにも該当者が出ている。

 もう自分だけが例外だとは考えてはいない。いつ罹患してもいいように準備をした方が賢明なようである。

 ここまで、自身の関係者に罹患の知らせがなかったことを喜ぶとともに、今後の幸運を祈りたい。

制御

 新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。もう知らない誰かが罹ったいうレベルを超えてすぐ近くまで病魔が迫っている感がある。感染拡大を行政の失敗と非難する人も出てきた。当たっているが間違ってもいる。

 政治家ができるのは外出規制や補助に過ぎない。人々の動きを拘束できない以上、判断は各自に任されている。また、そういう社会を望んでいるのは私たちだ。

 指導者たる人がとるべきは各自が適切な判断をくだせるようにその都度情報を提示し続けることだろう。それが不十分なまま勧告しても従う人は増えない。

 制御することは不可能かもしれないが、とるべき方法はまだある。低下する関心の中で増加する犠牲者がいる。私たちは今一度冷静に状況把握をするべきなのだ。

 

対応

 ウイルス感染対策の深刻化が進んでいる。ただ、昨年と違うのは心理的恐怖感が弱いということだ。何とかなると考えている人、所詮防疫は不可能だと諦めている人が多い。

 距離を離したり、ついたてを置いたりするのはそれなりに効果はあるというがこれも多くの人は納得していない。規制されないよう形を整えていると感じている。

 専門家の皆さんにはもっと積極的に発言をしていただきたい。何が有効で何が無駄なのかを少しでも分かれば新たな動きがあるかもしれない。