自分が見たままの姿を描けるのはやはり才能だろう。私が何かを絵に描こうとすると、既存のイメージをもとに描いてしまう。例えば山は三角形のバリエーションで、月は丸かその満ち欠けの姿、花は正面から見たような花弁の配置である。
絵の初心者に手っ取り早く描画法を教える動画を見ると、大半は対象を図式化、パターン化して描くことを勧めている。見たものをそのまま描くのではなく、それらしく見せるための技を伝えているのだ。
例えばゴッホの作品を見たとき、技法のよるものとは言い切れない。彼にとってはやはりあのように見えていたのではないかと思わせるのだ。その精神状態が異常なものであったしてもそのように見えたことを絵画に変換できたのはやはり天才なのだろう。山下清についても同じように考えられる。
見たままの映像が描けないのは、私たちの感覚には物事を記号化して、小異を目立たなくする認識の仕方が身についているからだと思う。そのおかげで日常の複雑さから免れ、正気を保てているのかもしれない。
私にはその才はないが、せめて才能がある人の作品を見出していきたい。

先日、ゴッホ展を見に行きました。
彼の伝記を事前に読んでいったので、黒い漁夫(炭坑の労働者の絵があると思ったのですが、その時は展示されていませんでした)の絵がありました。みずぼらしい服を着ている漁夫に、カラーは一切使ってなく、それなのにすごく迫力があり、何かをずっと話しかけてくるような絵でした。
彼は、日曜日以外太陽を見ることがない、炭鉱の労働者を、こういう人がいるんだ!と知ってもらいたくて、そばにいて描き続けたらしいです。
確かに精神を病んでいたのは事実ですが、彼は自らを犠牲にして隣人のために捧げた人だと思うのです.あまりに利他精神が強すぎて、狂ったんだと思います。自分のお金はもちろん、衣服までもあげてしまいました。是非是非、ゴッホの本を読んでみてください。とても興味深いです。