私たちの脳は都合のいいものを優先的に記憶し、そうでないものは無視する機能が備わっているようだ。それは進化の過程で身につけたものであり、これがあるためにどんな悲劇からも回復し、次の段階へ進むことができたのだろう。
もし戦争の悲惨さを実感し、それが次の世代にも伝えたいものと考えられるのならば、かなりの時間を割いてそれを実行しなくてはならない。私たちにはそこまでの覚悟はない。ただ、自分の要求を主張し、それが損なわれると怒るのみだ。
戦争経験のない世代にとって非戦の主張は理念的であり、実感が伴わない。一種の自己主張でしかない。恐らくこの制約が人類の戦争史を不断のものにしてきたのだろう。
結果的に実感の伴わない反戦主義が空虚なものと捉えられ、時の集団ヒステリーに押し切られる。私たちはその時、踏み応えられるのか。平和の鍵はそこにある。
