トランプ大統領がハーバード大学に対して規制しようとしている動きが報じられている。高等教育機関と政治権力の関係を改めて考えるきっかけになっている。
トランプ大統領の支持層は白人労働者階級が中心という。大学卒業のエリートではなく、その配下として雇用される人々だ。大学卒業者の中には私腹を肥やすことにだけ関心のある人たちもいて、彼らの下で働くものたちが抱える不満や怨嗟は水面下にあるものを含めれば相当なものである。
エリートの負の局面を論えば果てがない。しかし、世界の難題を切り拓いてきたのもこの層の人が多く、教養が社会秩序の維持に貢献することも多い。彼らの活躍は国家として、あるいは世界平和のために欠かせないという一面もある。
知的権威の功罪のマイナス面が強調され、権力者の手によって弾圧が始まると社会は一挙に息苦しくなる。権力側の知性は引き伸ばされ、対立する考え方は悪の象徴にたとえられる。アメリカで起きていることはその事態の始まりなのではないかと危惧されるのだ。
これは我が国でもいつでも起こり得る。学問、教養に対する疑念はまず効率性という言葉で説かれる。役に立たないことを学んで何になるのか。歴史や古典を学ぶより、プログラミングだ、フィンテックだと言い出す。彼らはこうした言動が反知性主義の扉を開くことに気づいていない。意図的なら独裁者候補になれる可能性がある。
学ぶことの意味を利己的、功利的にのみ捉える風潮が拡大すれば日本は一気におかしくなる。その兆しがあることに多くの人は気づいているはずだ。ここで歯止めをかける必要がある。