若さというものが何であるのかは人によって定義が異なる。もちろん身体的な問題は最もわかりやすい基だ。しかしこれには個人差がある。歳を取るたびに何かを失っていくというものでもないらしい。それでもやはり、統計的に考えれば加齢は様々な限界を低くしていくのは確かだ。
精神面においては年齢のわりには老いない人もいる。何かに向かってあきらめず追求する姿は若さを感じさせるものがある。私が注目するのはその方面の問題だ。つまり、経験を積んでもまだやれることはあるのではないか。知らないことがあってそれを見つけることが必要ではないかと思えることなのだと思う。自分の無知を認め、それを克服しようと努力できることは若さのなせる業であるといえる。
自身のことを述べるとやはり、近年は知ったつもりになってそれ以上を追求しないか、様々な言い訳をして困難に立ち向かわないことが増えていると思う。どうせできない、誰かには敵わないというのが口癖になっていることがある。それは本当に老いたということになるのだろう。
だから、無理にでも思い直すことにしている。「今日はできなかった。しかし、明日からは分からない。できるかもしれない」と。こういう悪あがきをするのも最近の習慣だ。百均で売っていた「やれたことノート」にいいことばかりを書き連ねる都合のよい自己暗示の策を取っている。傍からみれば滑稽でもいい。まだ自分に向上の余地があると信じて疑わない。それが若さというものなのだろう。年齢が少ないときはそんなことは意識する必要がなかったが、最近はなんでも知っているという錯覚を自主的に打ち消さなくてはならない。それが若さを保つ秘訣ということになる。
