一人暮らしを始めたころ

 富山県黒部市に住んでいたころは今から考えると最も不安定な時期だった。初めて就職した場所が暮らしたことがない地方都市であったことから、この地での生活を始めたのだが、直前に住んでいた渋谷とは全く違う環境に驚いた。

 それでも何とか順応できたのは、小学生のころ転校を繰り返した転勤族の息子として経験が生かされたのではないだろうか。つまり、住まいとは移ろうものであり、周囲にいる人もまた同じ。その場その場で適応することこそが大事なのだという学びである。

 一人暮らしは気楽であったが、単調になりやすかった。自炊したり、自分なりに楽しみを見つけたりすることは前から得意であったので、不完全ではあったが何でも自分でやるようにしていた。スーパーで魚を買い、自分でさばいて煮たり焼いたりして食べた。炊飯は機械に任せればよいが、味噌汁はしばらくは思い通りにはできなかった。それでも何とかなるものだ。それなりにできるようにはなっていった。

 掃除は駄目だった。毎日やらなくてはならないものを週に1度になり、月に1度になり、さらに頻度が減ると耐えがたいものになっていった。しかし、劣悪な環境も慣れてしまうと何も感じなくなってしまう。ある時、これではだめだと思って掃除を始めたが、これは最後まで苦手だった。

 この時期に始めたのがジョギングだ。一日7,8キロは走っていた。休みの日は朝と夕に二回走った。住まいから生地の港までの真っすぐな道をただ走った。港でしばらく海を見て、また宿まで走る。それを雨や雪の日以外は毎日行った。この経験は功罪がある。よいことは基礎体力ができたこと。少々のことにへこたれなくなったこと。悪いことはおそらくこれが原因で5年周期くらいで膝に水がたまるようになったことである。

 黒部市での生活は3年余りだったが、人生においてとても大切な時期であったのは間違いない。いつかまた生地の港を訪ねてみたいとは思うが少し躊躇もしている。

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