日々の暮らしに追われているうちに初心を忘れてしまうのは世の常なのかもしれない。私の場合、研究者になろうという考えがあったわけではなかったのだが、好きな学問を続けられるならばと思ってその道に入り、周囲の人々の影響で研究職もどきに就いた。それが、途中でダメになって今の職に移ったのだが、せめて文学の楽しさを若い世代に伝えたいという思いで始めたはずだ。それがどうも今は数字で測れる成績の向上ばかりを気にして初心を忘れつつある。
残り僅かになった教員生活を進学実績を向上させることに貢献することで終わることはそれなりに意味がある。でも、もう一人の自分が言う。それでいいのかと。そのために教員になったのかと。
私は二つの目的を同時にかなえることに挑まなくてはならない。数字で測れる成績向上と、測れない教養というものの伝授を同時に達成することだ。教養の方は私自身が十分にあるのではないから、教えるのは学ぶことの楽しさであり、特に文学を学ぶことの意味についてである。単に試験科目としての国語で高い偏差値を取るのだけが目的なのではない。自分とは異なる誰かの考え方を学ぶことの意味を知ること、それは一つのベクトル上に並ぶのではなく、人それぞれの考え方があり、それぞれに意味があるのだということ。そのうえで自分が生きるための選択はせねばならず、先人の意見に学び、模倣しながらも、最終的には自分なりの生き方を創造しなくてはならないということを伝えなくてはならないのだ。
日々の生活に追われ、自分の力の衰退に気を取られ嘆いているうちに、本当にやりたかったことを忘れつつある。まだ本当の衰微に到達する前にやるべきことをやっておかねばならない。そのためには若者がやるような無鉄砲な挑戦をこの歳でも試みる必要があるのだ。自分がここまでの人生を歩んできた最初の目的は何だったのか、再考するときになっている。