うまく立ち回る人を目の当たりにしたとき、尊敬するときと軽蔑するときがある。すでに立ち回るという日本語には幾分の批判精神が含まれている。だから、私の立場も自ずと知れてしまう。
いわゆるコンピテンシーについて述べようとすると、どうしても羨望もしくは嫉妬の気持ちが見え隠れしてしまう。気質に比べてコンピテンシーには後天的要素があるとされるが、それでも生まれつきの側面の方が大きく作用するように思えてならない。立ち回る力はなかなか鍛えることが難しい。
私のように年季がいったものは特にそうだが、要領よくやれと言われてもやれるようにしかできない。何でできないのかとき言われても説明不可能だ。できないからできないというしかない。
無駄な抵抗をさせていただけるならば、それでも私のやり方はありではないかと言いたいのだ。不器用な人にしか見えない風景を見ることができることは、世の中全体の福祉としては益となるはずだ。負け惜しみ的な言い訳だが。
ならば、私の立ち回り方は、できない人間が見ている風景を皆さんにお伝えして、できる人の暴走を抑えることにあるのかも知れない。貴方の見ていない世界がある。そんなに世界は単純ではありませんよと、余計なおせっかいを言うことが、私の役目なのかもしれない。
