小学生に説明して

 私は授業の中で文中の用語や、表現を説明させるとき小学生でもわかるように説明してほしいという注文を出す。5年生くらいを想定している。何がいいたのかといえば、難しいことをいかに分かりやすく置き換えるかが大事ということだ。ただし、易しくしすぎて元の意味が分からなくなってはならない。あくまで言い換えでなくてはならないのだ。

 ご存じの通り、現代文の設問の大半は「~とはどういうことか」か「~であるのはなぜか」である。前者は文脈に沿って意味をとらえ、それを別の分かりやすい表現に言い換えよという意味である。多くの生徒は文中のことばパッチワークのように組み合わせ解答を作るが、中には出来上がったものが何を言っているのか意味不明のものもある。大半は本文の表現をそのまま切り取ってきているため、ピースを組み合わせると非常に不自然になるのである。この種の問題が求めているのは文中の語の組み合わせではなく、結局何が言いたいのかを表現を変えて説明することだ。

 小学生に説明してほしいとは過剰な要求かもしれない。まず述べられていることを解釈し、自分なりの表現に変換してさらに相手の語彙レベルとか認知のレベルを考えて調整しなくてはならないのである。相手が小学生ではなくて自分と同等の人に話すという前提でもよい。大切なのは自分ではない他者に自分の観察したことを適切に伝えられるかということである。

 多くの教育関係者の文章に「知ることとは何か」というテーマがある。それらを読むと単語として丸暗記し、それを試験で一気に吐き出すという行動は勉強の質としては高くないという。極論すれば意味のないことを丸暗記して、一定時間後にそれをアウトプットするだけでは知的行動にはならないということだ。個々の用語がほかの語彙と結びつき文章となったとき、そこに一定の意味を生じる。それが分かることが「分かった」という境地だというのである。小学生にも分かりやすくするというのはこの自分なりの概念を構築を求めるからである。

 難しいことを難しく語る人は実は良く分かっていないという人もいる。本当の賢人は難しいことを分かりやすく語ることができる人だという。私自身もそれを心がけていたい。

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