初めてのことのように

 細かいことを気にするなという言葉がある。確かにそれは処世訓としては的を射ている。ただ歳を重ねるとその金言は時に害悪になる。細かいことを気にするべきだろう。

 小異を捨てて大同につけというのは大抵の場合正解だ。些細な違いに気を取られて本質を失うのは愚かである。でも高齢者にとってはこの言葉は毒にもなる。歳を重ねると物事の分節化がかなり概括的になる。過去の経験知からこれはこのようなものだろうと決めつけてしまう。おおよそそれは間違いではないから、ますますその傾向は強くなる。でもよく考えみよう。同じことは二度と起こらない。そしてたとえ似ていたとしても背景の要素がまるで変わっている。

 だから、私の最近の金言はこれまであったことを初めてと考えよということだ。私のいまの経験を大切にして過去の経験知を敢えて後ろに回せということなのである。これには相当のかっこ悪さがある。でも、要領よく無難に切り抜ける代わりに何も得られないよりは、失敗があってもリアルタイムに現状と向き合える方がよほどましなように思えるのだ。

 おそらく、こんなことを言ったら、それは余裕がある者の意見であり、本当に困窮したらそんなことを言っている暇などないと一喝されそうだ。その点には異論はない。ただ、何もせずに暮らすよりは、何かをした方がいいのかもしれないいう形に人生を捉え直したい。真新しい明日を生きるために。

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