とにかく書くこと

 自分の考えをなんでも書き出すといいという意見に時々出会う。私にとってのこのブログなどはその目的で続けている。質より量というか、継続である。自分で言うのもむなしいが、ほとんどがどうでもいい記事である。ただ、私の場合は毎日何とか続いているので、過去にこのようなことを考えていたんだということを思い出すよすがにはなる。

 これは悪いことではないらしい。私たちの思考は言葉によってなされるが、それがまとまった文章になって初めて思考というものが形成されるようだ。あれこれ思っていても形にしなくては定着しない。だから、無理やりにでも言葉にすることには価値があるというのだ。思いつくまではもやもやとして何も始まらないが、ノートにメモしたり、キーボードをたたき始めると意外にも次から次へと言葉がつながることがある。これは言葉のもっている文法というか自然の流れというものが、思考を育てる手助けをしてくれるからなのかもしれない。

AIが生成したイメージ

 作家とか文筆業の人の中に多作の人がいるが、この最初の思い切りができる人なのだと思う。あいまいでゴールが見えていないのに、書き始めると自然に次の道が見えてくる。それが達人の技なのだろう。とにかく行ってみるのが冒険家だという話をどこかで聞いたが、文章家もそれに近いものがあるのだろう。もちろん、いろいろと調べたり、経験を積んだりすることが必要なことは言うまでもない。それがなければ語る内容が薄くなるはずだ。でも、経験豊富であれば文章が書けるというものでもない。やはり最初の一歩を踏み出す勇気があるかどうかなのだと思う。

 とにかく書くことが大切なのだが、日々を忙しく過ごすうちに日常の路線から少しでもはみ出ることにためらいを感じてしまう。それが新しい考えをすることを拒み、日常の繰り返しに甘んじることにつながっているのだろう。これは加齢もある。年齢を重ねることは経験を豊かにするが、同時に失敗を恐れる臆病さも獲得してしまうのだ。なんでも思いついたことを書くノートは常にカバンの中にあるが、最近何も書けないことが多い。もう一度考え方を改めて、最初の一歩をたくさん踏み出したい。このブログもそのための一つだ。

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