言葉と経験

 聞いてもわからないものがある。見てもわからないこともある。本当に分かるということは自分でそれが説明でき、再現できるということなのだろう。そのためには言葉の運用力が必要であるし、それを裏付けるさまざまな経験の蓄積というものも要る。

 自分のことをいえば、最近はこの方面の努力を怠っている。自分で説明できなくてもとにかく使えればいいとか、その場をしのげればいいと安易に考えてしまう。そしてそういった情報は無数にあり、検索すれば比較的容易に抽出できる。

 仮にその場をしのげたとしても、理解のない知識は応用が利かない。蓄積も難しいから、常に初期状態のまま進歩しないといってもいい。それでは新しいことはできないし、そもそも他人の言ったことを引用するだけでは何も生まれない。

 上滑りの知識を弄するだけの人生にならないためにはやはり言葉と経験を豊かにするしかない。そのどちらかではなく、どちらも必要だ。人によってできる程度は差がある。ならば私は自分のできる範囲でものを語り、偏らない経験を積んで知の幅を広げるしかないと考えている。それがこれからの私の課題である。

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