月の面を見ることは

 今晩の月は中秋の名月にあたるという。もっとも月齢は15ではなく、満月は明日だ。太陰太陽暦の15日が今日に当たるため、実際の月齢との差が生じている。これは歴史的には普通であり、むしろ名月が満月であるときの方が少ないようだ。

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 竹取物語には満月を見るのは忌むべきことという件がある。かぐや姫の昇天を前にした場面の話であり、その分割り引かなくてはならないが、おそらく古代のある時期までには月を直接見ることは避けるべきだという考え方があったに相違ない。禁忌と崇拝は紙一重である。おそらく月に対する信仰が頂点に達すると月を見てはいけないという考え方に結び付いたのではないだろうか。

 月のない夜を闇夜というのはずいぶん詩的な表現に感じるが、人工的な光がない場所に行けば月光の明るさはとても頼もしいものに感じる。月光への依存はすぐに神格化につながり、それがやがては月光を直接見てはならないという禁忌につながることは容易に推測できる。

 月の満ち欠けを暦として使っていた時代の人々にとって、月齢は農事暦と直結する。月が生活を支えるものと感じられるのは自然の成り行きだろう。現代人はこの点についてはすっかり忘れてしまった。月齢を気にしているのはそれが記されている暦かムーンページメントのついた時計の持ち主くらいだろう。おそらく月見の行事は貴族が発見したとしても、それを真剣に伝えたのは農民たちだと考える。収穫への感謝や来年への豊作祈願の思いがこの行事を下支えしてきたのだろう。

 今晩月見ができるかどうかわからないが、この異常気象の中で何とか生活を保てていることをまずは感謝しようと思う。






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