悪意なき中傷

 自分自身への反省として書く。悪意がないのに人を傷つけてしまったことが何度もある。たとえば話の流れで特定の年齢や立場の人のことを悪くいってしまったことがある。言ってしまった後にそれに気づいてもどうしようもない。大変申し訳ない思いになる。

 それならばまだいいが、より深刻なのは誰かを傷つけたことを自覚できないときだ。悪意がないのだからそれは罪ではないともいえるのかもしれない。しかし、言われたほうの立場を慮るにそれでは済まされない気がする。そんなことを気にしていたら何も言えなくなるという声も聞こえてくるが本当にそれでいいのだろうか。

 最近自分が年配者になり、若い人の発言を聞いているとしばしば加齢に対する衰えを嘆いたり、あるいはできることができない人に対して一概に非難したりすることを聞く。彼らには悪意はないし、特定の人に向けて発言しているのではないことは明らかだ。しかし、例えば私のような年齢の人がいる前でそれを口に出してしまったり、相槌をうって談笑するのはやはり配慮が足りないというしかないのではないか。

 最初に述べたように私も先輩のいる前で高齢者の批判をしたり、能力の衰えを揶揄する一般論を展開したことがある。もちろん、その先輩は微笑んでいて特に不快な様子はなかったが、果たして本心はどうだったのだろう。私は今自分がその立場になって過去の自分の軽率な振る舞いに恥じ入るのだ。

 ソーシャルメディアが普及して自分の未整理の考えを公開してしまうことが当たり前になった。読者を想定せずに発信してしまうことに抵抗がなくなった。というよりどんな読者がいるのかの想像力を失ってしまっている。そんな時代の中にあってリアルなコミュニケーションでも相手に対する配慮がなくなってはいまいかと心配になるのだ。

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