小説や詩といった創作を私たちが行うのはなぜか。また人の作品をときには対価を払ってまで読んだり見たりするのはなぜだろうか。演劇やドラマ、映画といったものも程度の差こそあれ人為的な虚構の世界だ。こういったものにも思えばかなり高価な代金を払っても厭わない。むしろそこから得るものに大きな期待を持っている。

作り話が物質的にはなにももたらさないことは事実である。小説を読んでも栄養は摂取できない。定量的な利益を測定することはできないはずだ。場合によっては生活を困難にすることすらあるかもしれない。それなのに虚構を喜んで受容するのは意味がある。
おそらくその効用はたくさんある。しかし、私がもっとも大事だと思うことは創作を作ったり、享受したりすることを通して結局現実を考え直しているということではないだろうか。どんなにファンタジーであっても、その基本にあるのは現実世界の姿である。それを誇張したり、逆にしたり、不可能なことを可能にしたりして虚構の世界は出来上がっている。虚構を読むことをとおして実は現実を見直しているのだろう。それが直接的でない分、気づきにくい。
現実とは乖離している作品を堪能したあと、ふと、では実際はどうなのだろうと思う瞬間がある。わざとらしくなく、ごく自然にそのような振り返りがなされる。場合によってはそれによっていままで気が付かなかった何かを発見できることもある。昔から読書は心を豊かにすると言われるが、その一つがこうした現実を見る視点を得るという効用ではないだろうか。