最後に語らせる過程を

 学習の成果を上げるためには言語化という作業が欠かせない。知り得たことを言葉に変換するということである。もちろん学んだことをすべて言葉にはできない。私たちが目にし、感じ取ることは非常に複雑であり、言葉で言い尽くすことは難しい。それでもたとえ断片的なものであっても、自分なりに言葉に写し取ることは必要な作業なのだ。

 学校での学習、とりわけ受験勉強や資格取得の学習などはもともと目的が限定されているものであるから言語化はし易い。そういったものの教育自体が言語を通して行われているのであるからハードルはかなり低いはずだ。でも大切なのは人の説明をそのまま暗記することではなく、自分なりのことばに変換し自分なりに説明できるということなのだ。結果的にそれが問題集の解説や教師の説明よりも劣ったものでもいい。とにかく自分の言葉で語ることが理解を深める。

 普段の学校の授業にこれを当てはめてみよう。例えば歴史を勉強する際に、教科書の記述に沿って多くの教員は説明し、重要語を板書(黒板に書くこと)したり印刷物にまとめて配布したりするだろう。生徒はそれを必死に写し、空欄を埋めたりして学習したことにする。赤いペンで書いて赤いシートで隠してテストに備える。直後の試験ではこれで対応できるので高得点をとると安心してしまう。ところが少し時間を置いて模試などで同じことを聞かれたり、教科書とは別の方向から質問されると答えが出てこない。こうした経験は多くの人がしているはずだ。

 おそらく教科書の丸暗記の方法は短期的な記憶には向いているが、忘却するのも早い。それはおそらく情報を単なる記号としてのみ取り込んでいるだけで、意味づけがなされていないからだろう。一つ一つの情報は軽量なのですぐに覚えられるが剥がれるのも容易だ。対して自分なりに定義づけされた情報は獲得に手間と時間が掛かるが重みをもつため、簡単には忘れにくくなる。ついでに覚えた関連情報も相互作用して忘れにくくしてくれるのだろう。

 では、自分の言葉に直すために何をすればいいのだろう。学習者の立場で考えれば学習後に自分の言葉でまとめ直す作業をいれる方法がある。講演などを聞くときその場でメモを取ることが多い。上手く取れると安心してしまうがこれが板書を写す学習と同じだ。大事なのは事後にそのメモをできるだけ見ないで講演の要旨を自分の言葉で書くことだろう。専門用語は使わなくてもいいので自分の言葉で説明できるかである。こうすることで学びが自分のものになる。最近の私のノートはこの自分なりのまとめを必ずつけるようにしている。

 教師の立場でできる方法は何があるのか。授業の最後に今日学んだことは何であったのかを語らせる時間を作らせることではないだろうか。教師が板書することは重要事項の箇条書きや記号による図示にとどまる。これをそのまま写しても後で読み直したときなんのことか分からない。そこで、授業の最後に私が今日話したのはどんなことだったのか、何が大切なことだったのかを短文でまとめさせ、生徒間で確認させるのである。自分の言葉でまとめられなければ理解ができていないことになる。生徒同士でまとめの交換をすることで見落とし、聞き落としを防ぐことになる。私はノートを使って隣の生徒に教師のように説明するという場面を作りたいと考えている。果たして効果は出るだろうか。

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