被災地で起きたことをどう報じるか

 能登の穴水で起きた被災者による自販機の破壊に関してさまざまな報道がなされた。混乱の中での報道ではあるが、看過できない問題点がある。災害時のメディアの報道の在り方について考えさせるものであった。

 避難場所になっていた穴水高校に設置されていた自販機が被災者によって破壊された。被災者たちは破壊行為をみて悲鳴を上げたがどうしようもできなかったと読売新聞が報じると、地元紙である北國新聞は緊急時のために取り出し、取り出した商品は避難者には配布されていたと報じた。

 読売新聞の初期報道は裏が取れていないまま報道してしまったことになる。それだけではなく、被災地において無道な窃盗事件が起きていたと報じることは日本人の矜持を傷つける大問題である。この点の配慮もなく、報じてしまったのは痛恨のミスだ。読売は記事の訂正を行わず自販機の設置会社が被害届を出したことを中心に報じた。初期の報道に間違いはなく、現に被害届が出されたと弁明しているかのようである。ところが、まだ続報がある。先日の報道によると設置会社は破壊を申告してきた人に対し、請求を行わないことを発表したという。被災者の心情を考え、賠償請求は行わないというのである。ただし被害届は器物の保障のために必要なので取り下げないということだ。

 被災地の「火事場泥棒」の報道はほかにもいろいろある。中には自衛隊の服装を偽装して倒壊した建物から金銭を盗み出しているなどといった報道があった。これらも本当に裏が取れているのだろうか。

 限界状況で人々がどのように行動するのかは誰にも分からないし、とても関心がある内容だ。そこに報道が焦点を絞るのは分かるが、事実無根の情報を流せば人心を乱す原因にもなるだろう。報道の責任を感じてほしいことである。

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