
何かに対する不安感を多くの人が共有したときに大きく時流が変わることがあるらしい。特に危機感を利用して人々の気持ちを扇動する存在が現れたとき危うい展開が起きやすい。世界の歴史をみても、天災や戦争などによる危機的状況の中に一見救いの道を示すように見える言葉を並べ、象徴的な行動を見せることで「信者」を獲得する者が出現する。それはある時は宗教者であり、資本家であり、政治家であり、独裁者であることもある。表す姿は様々でも多くの人々の行動に影響を及ぼすことは変わらない。
恐怖の中では頼りになる何かが欲しくなるのは当然のことである。その中で誰かの言葉や行いに救われるということは多い。私たちの日常は大体同じことの繰り返しであり、次に何が起こるかある程度の推測ができる。あるいはできると思い込んでいる。ところが、限界状況においてはその予測が全くできない。どこに進むのかわからない船にのっているのと同様に、展開が見えない時間は極度の不安と焦燥が噴出する。そんなときに、私に任せれば大陸に必ず着くという者が出現すれば救われる気になる。それに根拠がなくても盲従してしまう。
こういう事態はいつかは起こる。そういう時に茫然自失とならないようにすることが肝要だ。かなり難しいのは確かだが、少なくとも過去に起きた同様の事態がどのように起き、どこに落ち着いたのかを知ることには意味がある。その意味で歴史を学ぶことは大切なのだろう。どんなに知識があってもその事態にならなければ結局どうなるかは分からない。それが事実だろう。でも何も知らないより、知っておいた方が救いにはなる。