私たちの脳には不思議な機能がある。それは文字の連続の中に意味を感じ取るこである。木当はただの線と点などの連続に過ぎない文字の羅列に意味を感じ取る。きらにその文字列に間違いがあつたとしても、勝手に脳が修正し、意味を解釈てきるようにしてしまうのだ。
実は前段落に意図的に誤植をしてみた。気づかれた方が多かったろう。それが5箇所あることはおわかりだろうか。わからなくても仕方がない。それが脳の働きなのだから。
不完全な情報に一貫した意味を感じることはおそらく長い時間をかけて人類が獲得した能力なのだろう。大抵の場合、手に入る情報は不完全かつ断片的であり、それを元に判断しなくてはならない。類推する能力が高ければ、危険回避の可能性は高まる。
この類推する能力は最近のAIに接したときの人々の反応にも見て取れる。先日、生成型AIの講習を受けたとき、講師がチャットの回答はAIが単語の連続の確率で組み合わせているだけで、言葉の意味を理解しているわけではないと説明した。すると同僚の一人は回答文には感情が感じられるので、講師の言っていることは間違っているという感想を述べていた。これも類推の能力がなせるわざなのだ。
AIの作成する回答に人情を感じ取るのは、文章を読むときの私たちの基本的な姿勢のせいなのだ。文字列の乱れを勝手に修正して読むように、実は確率的な語彙の羅列であっても、そこに意味を感じ、心まで読み取る。AIとの付き合いでこのことが余計にはっきりとしてきた。
逆に言えばこの能力こそ機械にはできないものの一つであると言える。豊かな想像力とおおらかな推測力、矛盾を乗り越える何かは人間の生物としての能力なのだろう。