写経という学び

 中世の学僧が残した写経の展示を見てきた。写経が歴史の中では重要な修行となっており、多くの写経僧が存在したことは承知していたが、実際の文書を見るとその情念の深さが伝わってきた。

 写経のようにノートをとるなとはよく言われる。これは黒板の文字をただ写すだけでは学習効果は上がらないという意味だ。ただこれは本来の写経の意味を取り違えている。

 写経は経典をただ書き写す行為ではなさそうだ。写しながら学びとるものがたくさんあったのだ。写経を通して仏教の教えを体得するのだ。その意味で写経は決して受動的な行為ではない。

 現代でも写経に心の安定とか鎮静を意図して行うことがあるという。決して単なる書き写しではないなにかを感じているのだ。

写経という学び” への2件のフィードバック

  1. 追伸 お経を毎日唱えると意味はわからなくても暗記してくるものですが、音読もそれを目指しているのでしょうか?

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください