いろいろな意味でアイドルが注目されている。漫画の「推しの子」ではアイドルという虚構の存在が内側から描かれている。アイドルは人間がつくり出した理想形を現実に演じる存在である。そういう人がいたらいいと思うが本当はいない。そういう存在を演じることがアイドルの条件になる。
昭和のアイドルにもさまざまな伝説や醜聞はあった。制作側がつくり出すイメージにいかに自分を当てはめるのかがアイドルになる条件だった。それに耐えきれず挫折する人や、そのイメージから脱するためにほかの方面に進む人も多数いた。また、手の届かない存在としてのアイドルとは別の、身近にいそうなイメージを演出するタイプの人もいた。これは現在でもその流れをくむタレントが多数いる。ただ彼らもまた現実にいそうでいない理想形のタイプの一つであるのには変わりない。
現在ニュースを毎日騒がしているジャニーズ事務所の問題はもっとも知られてはならないアイドルの裏側を暴露してしまったことで大問題である。これまでの噂話のレベルの醜聞とは桁が違う。しかも当事者が物故した後にようやく露見するということは、多くの人が見て見ぬふりをしていたということになる。その意味では非常に構造的な大問題だ。
アイドルという存在に夢を見ることができなくなる時代は大変残念なものだ。でも、過剰な期待を人間に求めるのは間違いなのかもしれない。そういう一種の絶望感を今回の事件は浮上させてしまった。私たちは何に自分の夢を求めていくべきなのだろうか。
アイドルだけではなく、看護士や介護士や営業職もここではあえて書きませんが、セクハラにあっています。
告発することは、勇気もいり、世間の目に晒されて、本当に大変だったと思います。
だけれども未来の後に続く人のためにも、やはり明らかになった方が良かったのだと思もいます。1人だけでは、大変なストレスですが、仲間がいれば、頑張れると思います。