プロンプトも書けなくなったら

 ChatGPTなどの生成型AIではプロンプトをどのように書くかが重要な問題である。いわゆるプログラミング言語とは異なる通常の言語で指示を出すことが求められている。コンピューター言語を覚えるよりはるかにハードルが低くなったはずだが、そこには大きな落とし穴がある。

 生成型AIは今のところ言葉の意味を理解してはいない。もっとも可能性の高い言語のつながりを高速で検索し組み合わせているだけであり、書かれていないことや暗黙の了解といったたぐいのものは察することができない。プロンプトを書く場合は、コンピューターが何を検索して何を合成すべきなのかがわかるように指示しなくてはならない。これはこれで結構な国語力が必要だ。ちょっと大げさな邪推をしてみる。このまま文書などの作成をAIに任せていたら、将来の人間はまともな文章を自分で作成することができなくなるのではないだろうか。そしてAIにさえも指示が出せなくなるのではないか。

 別のものに例えてみる。車が普及する前、特権階級を除いて多くの人は自分の足で歩いて旅をした。時間はかかったが、自分の身体だけで目的地まで移動しえたことは現代人との大きな違いだ。そのため昔の人は持久力に優れていたともいえる。自動車に乗るようになった私たちは持久力を失った。原因はそれだけではないが、便利な道具ができると失う能力もある。これが足腰の筋肉ではなく、頭脳の話になると話は複雑になる。

 脳が様々な指令を出している人間にとって、言語の能力はその指令を効率よく伝えられるかどうかにかかわる。生成型AIはそのことを実に簡潔に顕在化させたといえるのだ。ならばこれからの教育の目的はAIにもわかる日本語を使えるスキルを教えるということになるかもしない。もしこれができなくなったなら、人間はAIという道具の持ち方が分からなくなるということだ。もし、そのような事態になったなら、それがシンギュラリティにあたるのかもしれない。コンピュータに追い越されるというより、人間の方が衰えていく。そういうシナリオが浮かんでしまうのだ。

 プロンプトの書き方をChatGPTに尋ねる人もいる。杞憂とは言っていられない状況がすでにある。

 

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