風景を描くことは実は難しい。見たままを描くというのは実は幾分かの虚構が挟まれている。見たままを描くことはできない。必ず見た人の解釈を通して映像は結ばれる。そのことを実感できるのは風景画の歴史を知ることにある。風景画の大半は画家に切り取られる時点で多分に虚構性を含んでいる。いかにもその景らしい何かを描こうとする動機が含まれているからだ。
風景のほとんどには実際には意味はない。そこに意味を見出そうとするのが人間の営みなのだ。画家の場合、自分が見たものを、つまり意味を見出したものを表現することができる。しかし、画力のないものにはそれは難しい。
風景画が自分が何を見たのか、何に意味を感じたのかの告白だと思えば面白い。これは文学にもそのままあてはまる。