外そうにも

 マスクを外してもいいという社会的環境は整ったが、いまだに多くの人は止めない。これには防疫という観点だけではない要因が様々にある。

 私の結論はマスクをつけるのは個人の判断でよいというものであり、着用の有無を問題にはしない。コロナ以前からも真夏でもマスクをつけていた人はいた。一種のファッションであり、個人の自由というべきものである。ただ、パンデミックでマスク着用を強要された人々がマスクの効用を発見してしまったということが大きな要因である。

 マスクはもっとも不自然ではない変身の方法でもあった。変装すれば怪しまれるがマスク着用は簡単に群衆に埋没する手段として使われる。私たちの人物の認識方法は意外と単純であり、髪型や眼鏡の有無など一部の要素だけを取り上げる。だから、マスクの人はそれだけで一つの分類基準になるわけだ。これを逆に考えればマスクをつけることで簡単に大分類の中に組み込まれるのである。

 マスクを外すことはこの隠れ蓑を捨てることであり、その意味では身を晒すことなのであろう。だから、いきなり外してもいいと言われても困るのだ。外そうにも外せない。それがマスクは不自由と言いながらもつけ続ける人々の心理にあるのではないだろうか。

外そうにも” への1件のフィードバック

  1. 隠れ蓑がないと、ほうれい線があるのがバレるじゃあないですか、、、
    化粧品のコマーシャルにもあるように、年齢は顔の下半分に出やすい!
    この前外してたら、近所の人にジーッと顔見つめられました(⌒-⌒; )

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